「兎上命」の版間の差分

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動
(ページの作成:「'''兎上命'''(うかみのみこと)は、『常陸国風土記』によると、薩都里の土雲を討ち「よく殺さしめて福(さち)なるかも」…」)
 
 
(同じ利用者による、間の10版が非表示)
1行目: 1行目:
 
'''兎上命'''(うかみのみこと)は、『常陸国風土記』によると、薩都里の土雲を討ち「よく殺さしめて福(さち)なるかも」といい、佐都(薩都)の地名となった。
 
'''兎上命'''(うかみのみこと)は、『常陸国風土記』によると、薩都里の土雲を討ち「よく殺さしめて福(さち)なるかも」といい、佐都(薩都)の地名となった。
 +
 +
== 薩都神社 ==
 +
薩都神社(さとじんじゃ、あるいはさつじんじゃ)。祭神は'''立速日男命'''(またの名を速経和気命)です。記紀などに名はなく、常陸国風土記と社伝にのみ伝わる祭神である。社伝の『佐都大明神成実因縁記』によると速経和気命とは太政大臣・藤原義嗣のことだ、とのこと。
 +
 +
<blockquote> (薩都の里の)東方にある大きな山を、賀毘礼(かびれ)の高峰という。ここには名を立速男命と申し上げる天つ神がおいでになる。又の名を速経和気命と申し上げる。もと天より降っておいでになり、松沢の(地の)松の木の八俣になっているところの上においでになっていた。<br>この神の祟りはたいそうに厳しくて、もし(おいでになる松の木に)向かって大小便をするような人があれば、(たちまち)その人に災いをお下しになり、病気にさせてしまうのである。そこで近くに住んでいる人々は、いつでもひどく苦しみ悩んでいたが、(とうとう)朝廷にそのことのありさまを申し上げ、(祟りを払ってくれるよう)願い出た。<br>そこで(朝廷が)片岡の大連を派遣して、(この神を)敬い祭らせて、祈願して言うことは「今、あなたのおいでになるこの地は、近くに百姓の家があって、朝夕にきたなくけがらわしい所です。どうかここを避けて、高い山の清浄な所にお移り下さいますよう」と申し上げた。そこで、神はこの願い事をお聞き入れになって、とうとう賀毘礼の峰にお登りになられた。(常陸国風土記 全訳注/秋本吉徳、講談社学術文庫)</blockquote>
 +
 +
といういわれがあるとのこと。
 +
 +
== 私的考察 ==
 +
この神は「木の俣」にいる神、という性質が「[[木俣神]]」と共通しているように思える。
  
 
== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==
 
* [https://genbu.net/saijin/unakami.htm 菟上足尼]、玄松子(最終閲覧日:24-12-17)
 
* [https://genbu.net/saijin/unakami.htm 菟上足尼]、玄松子(最終閲覧日:24-12-17)
 +
* [https://ibamemo.com/2021/04/14/sato/ 【式内社】薩都神社と立速日男命|常陸太田市]、茨城見聞録(最終閲覧日:24-12-17)
 +
 +
== 関連項目 ==
 +
* [[出雲振根]]:別名か。
 +
* [[鹽冶彦命]]:別名か。
 +
* [[速飄別命]]
 +
* 速飄神
 +
* [[木俣神]]:性質が共通している。
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
9行目: 27行目:
 
[[Category:日本神話]]
 
[[Category:日本神話]]
 
[[Category:祝融型神]]
 
[[Category:祝融型神]]
 +
[[Category:松]]
 +
[[Category:風神]]
 +
[[Category:疫神]]
 +
[[Category:陰]]

2024年12月19日 (木) 12:42時点における最新版

兎上命(うかみのみこと)は、『常陸国風土記』によると、薩都里の土雲を討ち「よく殺さしめて福(さち)なるかも」といい、佐都(薩都)の地名となった。

薩都神社[編集]

薩都神社(さとじんじゃ、あるいはさつじんじゃ)。祭神は立速日男命(またの名を速経和気命)です。記紀などに名はなく、常陸国風土記と社伝にのみ伝わる祭神である。社伝の『佐都大明神成実因縁記』によると速経和気命とは太政大臣・藤原義嗣のことだ、とのこと。

(薩都の里の)東方にある大きな山を、賀毘礼(かびれ)の高峰という。ここには名を立速男命と申し上げる天つ神がおいでになる。又の名を速経和気命と申し上げる。もと天より降っておいでになり、松沢の(地の)松の木の八俣になっているところの上においでになっていた。
この神の祟りはたいそうに厳しくて、もし(おいでになる松の木に)向かって大小便をするような人があれば、(たちまち)その人に災いをお下しになり、病気にさせてしまうのである。そこで近くに住んでいる人々は、いつでもひどく苦しみ悩んでいたが、(とうとう)朝廷にそのことのありさまを申し上げ、(祟りを払ってくれるよう)願い出た。
そこで(朝廷が)片岡の大連を派遣して、(この神を)敬い祭らせて、祈願して言うことは「今、あなたのおいでになるこの地は、近くに百姓の家があって、朝夕にきたなくけがらわしい所です。どうかここを避けて、高い山の清浄な所にお移り下さいますよう」と申し上げた。そこで、神はこの願い事をお聞き入れになって、とうとう賀毘礼の峰にお登りになられた。(常陸国風土記 全訳注/秋本吉徳、講談社学術文庫)

といういわれがあるとのこと。

私的考察[編集]

この神は「木の俣」にいる神、という性質が「木俣神」と共通しているように思える。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]