「亀石」の版間の差分
(ページの作成:「'''亀石'''(かめいし)とは、奈良県高市郡明日香村川原にある石造物。益田岩船や酒船石と並び、飛鳥の石造物の代表的な遺…」) |
(→私的解説) |
||
(同じ利用者による、間の8版が非表示) | |||
2行目: | 2行目: | ||
== 形状 == | == 形状 == | ||
− | |||
長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルの巨大な[[花崗岩]]に[[カメ|亀]]に似た彫刻が彫られていることからこの名前で呼ばれている。そのユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルともなっている。 | 長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルの巨大な[[花崗岩]]に[[カメ|亀]]に似た彫刻が彫られていることからこの名前で呼ばれている。そのユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルともなっている。 | ||
− | '''亀''' | + | '''亀'''石と呼ばれているが、亀であれば顔は楕円形で目は横に付くが、顔が三角形であることや目が上に飛び出しているなど、むしろカエルだとの説がある<ref>奧田尚『石の考古学』学生社 2002年 p.226</ref><ref name="井上門脇" />。しかし、「野中寺旧伽藍跡」の塔舎利心礎に同様のレリーフ加工がされていたことから、亀石も亀を表した説が大きくなっている<ref>河上, 2003, 第1章4節</ref><ref>亀の造形物は何かを背負う形で表現されるので、野中寺旧伽藍跡では塔を乗せていたので亀だと判断した</ref><ref>河上, 2003, 第1章4節</ref>。顔部分の仕上げは丁寧だが、背などは手を加えられておらず、下腹部東半面には、益田岩船と同様の格子状の溝がある<ref name="井上門脇">井上光貞、門脇禎二『飛鳥』吉川弘文館 1987年 p.279-280</ref><ref name="奈文研加工" />。上部が自然石のままで下面東半分が格子状、西半分が平面に加工されていると指摘し、現在の下面が本来の上面で実は上下逆であったという説も奈良国立文化財研究所の報告書で出されてはいるが<ref name="奈文研加工">奈良国立文化財研究所編『川原寺発掘調査報告』奈良文化財研究所学報第9冊 1981年、p.53</ref>、有力視はされていない<ref>河上, 2003, 第1章4節</ref>。 |
== 建造時期・目的 == | == 建造時期・目的 == | ||
建造時期、目的共に不明で、いくつかの説が出されているものの、結論は出ていない。 | 建造時期、目的共に不明で、いくつかの説が出されているものの、結論は出ていない。 | ||
− | * | + | * 川原寺の所領の西南隅を示す石標<ref>奈良国立文化財研究所編『川原寺発掘調査報告』奈良文化財研究所学報第9冊 1981年、p.50-51</ref>、条里の境界説<ref name="井上門脇" />。 |
− | * | + | * 未完成の猿石説<ref name="井上門脇" />。 |
− | * | + | * 大化3年(647年)新羅の金春秋王子が外交使節として来朝するにあたっての歓待用に、新羅渡来系石工に造らせ、周囲で舞楽をした説<ref>門脇禎二『新版 明日香 - その古代史と風土』NHKブックス 1977年、p.212-216</ref>。 |
− | * | + | * 仏教伝来以前の土俗民間信仰の対象物説<ref>https://www.asukabito.or.jp/spot_18.html, 亀石 - 公益財団法人 古都飛鳥保存財団|accessdate=2020-07-05, https://web.archive.org/web/20220520231538/https://www.asukabito.or.jp/spot_18.html, 2022-05-20</ref>。 |
− | * | + | * 斉明天皇の時代にグリフォン像を造ろうとしたが、乙巳の変での蘇我氏滅亡により、加工途中で放棄された説<ref>松本清張『ペルセポリスから飛鳥へ:清張古代史をゆく』日本放送出版協会 1979年、p.157、202</ref>。 |
== 伝説 == | == 伝説 == | ||
− | + | 伝説によると、大和盆地一帯が湖であった頃、川原の鯰と対岸の当麻の蛇の間で争いがあり、後者が勝った結果、湖水を全て取られて干上がり、棲んでいた亀はみんな死んでしまった。これを哀れに思った村人たちは、亀石を造って供養をしたという。亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたという。そして、現在は南西を向いているが、当麻の方角にあたる西を向いた時、大和国一円は泥の海と化すという<ref>[https://web.archive.org/web/20210214190858/https://asukamura.com/sightseeing/527/ 明日香村観光ポータルサイト 旅する飛鳥「亀石」]2019年8月5日閲覧 2022年11月23日リンク切れアーカイブ差替え</ref>。実際に、亀の背地すべり地区の調査で、古代に地すべりで大和川がせき止められ、同地区からかなり上流まで湖水状になっていたことが判っている<ref>高田理夫, 亀の瀬地域の地すべりについて, 1964, 公益社団法人 日本地すべり学会, 地すべり, volume1, issue2, issn:1884-3956, doi:10.3313/jls1964.1.2_61, https://doi.org/10.3313/jls1964.1.2_61, 2019-10-20, p61-63</ref>。 | |
+ | |||
+ | == 私的解説 == | ||
+ | 「当朝の蛇」というのは干ばつを起こす、[[祝融]]型の疫神であることが分かる。神話的にこのような疫神と対峙するのは、水神の性質を持つ神で男性形の場合も、女性形の場合もあり得ると考える。ただ、[[石見天豊足柄姫命]]の神話と比較するに、水神と干ばつの疫神が対立した場合、生け贄によるものなのか、それ以外に理由があるのか定かではないが、女神が死ぬパターンがあるように思う。岩見と飛鳥の2つの神話を比較した場合 | ||
+ | <table class="wikitable"> | ||
+ | <caption>比較表</caption> | ||
+ | <tr> | ||
+ | <th>地域</th><th>男性形水神</th><th>女性形水神</th><th>干ばつの疫神</th> | ||
+ | </tr> | ||
+ | <tr> | ||
+ | <th>岩見</th><td>[[八束水臣津野命]]</td><td>[[石見天豊足柄姫命]]</td><td>蛇・干ばつの疫神</td> | ||
+ | </tr> | ||
+ | <tr> | ||
+ | <th>飛鳥</th><td>川原の鯰</td><td>亀</td><td>当麻の蛇</td> | ||
+ | </tr> | ||
+ | </table> | ||
+ | となるように思う。亀が女神である、という点は乙姫が有名である。丹後半島の乙姫は、[[豊受大神]]を暗になぞらえているともいえ、これは[[石見天豊足柄姫命]]と性質の類似した女神である。[[石見天豊足柄姫命]]のトーテムが亀である可能性があるように思う。その逆に飛鳥の亀女神は、飛鳥川(大和川)の女神であって、広く[[佐保姫]]・[[竜田姫]]のトーテムであった可能性が高いと考える。何らかの目的(おそらく治水か干ばつ対策)で女神の像を造ったものが、その目的が忘れられてしまったものが亀石なのではないだろうか。 | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
+ | * Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E7%9F%B3 亀石](24-12-15) | ||
** 河上邦彦, 2003, 飛鳥を掘る, 講談社選書メチエ, 講談社, isbn:4-06-258258-9 | ** 河上邦彦, 2003, 飛鳥を掘る, 講談社選書メチエ, 講談社, isbn:4-06-258258-9 | ||
== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
+ | * [[佐保姫]] | ||
* [[竜田姫]] | * [[竜田姫]] | ||
2024年12月15日 (日) 13:29時点における最新版
亀石(かめいし)とは、奈良県高市郡明日香村川原にある石造物。益田岩船や酒船石と並び、飛鳥の石造物の代表的な遺跡として知られる。
形状[編集]
長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルの巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られていることからこの名前で呼ばれている。そのユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルともなっている。
亀石と呼ばれているが、亀であれば顔は楕円形で目は横に付くが、顔が三角形であることや目が上に飛び出しているなど、むしろカエルだとの説がある[1][2]。しかし、「野中寺旧伽藍跡」の塔舎利心礎に同様のレリーフ加工がされていたことから、亀石も亀を表した説が大きくなっている[3][4][5]。顔部分の仕上げは丁寧だが、背などは手を加えられておらず、下腹部東半面には、益田岩船と同様の格子状の溝がある[2][6]。上部が自然石のままで下面東半分が格子状、西半分が平面に加工されていると指摘し、現在の下面が本来の上面で実は上下逆であったという説も奈良国立文化財研究所の報告書で出されてはいるが[6]、有力視はされていない[7]。
建造時期・目的[編集]
建造時期、目的共に不明で、いくつかの説が出されているものの、結論は出ていない。
- 川原寺の所領の西南隅を示す石標[8]、条里の境界説[2]。
- 未完成の猿石説[2]。
- 大化3年(647年)新羅の金春秋王子が外交使節として来朝するにあたっての歓待用に、新羅渡来系石工に造らせ、周囲で舞楽をした説[9]。
- 仏教伝来以前の土俗民間信仰の対象物説[10]。
- 斉明天皇の時代にグリフォン像を造ろうとしたが、乙巳の変での蘇我氏滅亡により、加工途中で放棄された説[11]。
伝説[編集]
伝説によると、大和盆地一帯が湖であった頃、川原の鯰と対岸の当麻の蛇の間で争いがあり、後者が勝った結果、湖水を全て取られて干上がり、棲んでいた亀はみんな死んでしまった。これを哀れに思った村人たちは、亀石を造って供養をしたという。亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたという。そして、現在は南西を向いているが、当麻の方角にあたる西を向いた時、大和国一円は泥の海と化すという[12]。実際に、亀の背地すべり地区の調査で、古代に地すべりで大和川がせき止められ、同地区からかなり上流まで湖水状になっていたことが判っている[13]。
私的解説[編集]
「当朝の蛇」というのは干ばつを起こす、祝融型の疫神であることが分かる。神話的にこのような疫神と対峙するのは、水神の性質を持つ神で男性形の場合も、女性形の場合もあり得ると考える。ただ、石見天豊足柄姫命の神話と比較するに、水神と干ばつの疫神が対立した場合、生け贄によるものなのか、それ以外に理由があるのか定かではないが、女神が死ぬパターンがあるように思う。岩見と飛鳥の2つの神話を比較した場合
地域 | 男性形水神 | 女性形水神 | 干ばつの疫神 |
---|---|---|---|
岩見 | 八束水臣津野命 | 石見天豊足柄姫命 | 蛇・干ばつの疫神 |
飛鳥 | 川原の鯰 | 亀 | 当麻の蛇 |
となるように思う。亀が女神である、という点は乙姫が有名である。丹後半島の乙姫は、豊受大神を暗になぞらえているともいえ、これは石見天豊足柄姫命と性質の類似した女神である。石見天豊足柄姫命のトーテムが亀である可能性があるように思う。その逆に飛鳥の亀女神は、飛鳥川(大和川)の女神であって、広く佐保姫・竜田姫のトーテムであった可能性が高いと考える。何らかの目的(おそらく治水か干ばつ対策)で女神の像を造ったものが、その目的が忘れられてしまったものが亀石なのではないだろうか。
参考文献[編集]
- Wikipedia:亀石(24-12-15)
- 河上邦彦, 2003, 飛鳥を掘る, 講談社選書メチエ, 講談社, isbn:4-06-258258-9
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 奈良県観光公式サイト 亀石なら旅ネット
脚注[編集]
- ↑ 奧田尚『石の考古学』学生社 2002年 p.226
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 井上光貞、門脇禎二『飛鳥』吉川弘文館 1987年 p.279-280
- ↑ 河上, 2003, 第1章4節
- ↑ 亀の造形物は何かを背負う形で表現されるので、野中寺旧伽藍跡では塔を乗せていたので亀だと判断した
- ↑ 河上, 2003, 第1章4節
- ↑ 6.0 6.1 奈良国立文化財研究所編『川原寺発掘調査報告』奈良文化財研究所学報第9冊 1981年、p.53
- ↑ 河上, 2003, 第1章4節
- ↑ 奈良国立文化財研究所編『川原寺発掘調査報告』奈良文化財研究所学報第9冊 1981年、p.50-51
- ↑ 門脇禎二『新版 明日香 - その古代史と風土』NHKブックス 1977年、p.212-216
- ↑ https://www.asukabito.or.jp/spot_18.html, 亀石 - 公益財団法人 古都飛鳥保存財団|accessdate=2020-07-05, https://web.archive.org/web/20220520231538/https://www.asukabito.or.jp/spot_18.html, 2022-05-20
- ↑ 松本清張『ペルセポリスから飛鳥へ:清張古代史をゆく』日本放送出版協会 1979年、p.157、202
- ↑ 明日香村観光ポータルサイト 旅する飛鳥「亀石」2019年8月5日閲覧 2022年11月23日リンク切れアーカイブ差替え
- ↑ 高田理夫, 亀の瀬地域の地すべりについて, 1964, 公益社団法人 日本地すべり学会, 地すべり, volume1, issue2, issn:1884-3956, doi:10.3313/jls1964.1.2_61, https://doi.org/10.3313/jls1964.1.2_61, 2019-10-20, p61-63