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このワタツミを竜神や竜王と同一視できるかについては、浦島子伝説は既に中国の唐代に流行していた竜生九子伝説<ref>後に楊慎『升庵外集』に記述される。</ref>の影響を受けていたもので、すなわち奈良時代の浦島子伝説でも、亀姫は竜王の姫だったという解釈がある<ref name="sakata"/>。また唐の『竜女伝』を元の素材として、亀姫は東海竜王の娘の竜女であるとする、より具体性のある見解を藤沢衛彦は打ち出している<ref name="fujisawa"/>。
しかし仮説になりたった解釈を抜きにすれば、『御伽草子』において初めて、異郷が明確に「竜宮」となり<ref name="akiya"/>、その異郷の女性が「乙姫」という名の竜王の娘として登場する<ref name="miyao"/>{{sfnp|<ref>McKeon|, 1996|p=136}}。この竜王が竜族かを問えば、[[柳田国男]]によれば「日本の昔話の竜宮には竜はいない」とされる{{sfnp|, p136</ref>。この竜王が竜族かを問えば、柳田国男によれば「日本の昔話の竜宮には竜はいない」とされる<ref>柳田|, 1971|p=45}}, p45</ref>
== 御伽草子 ==
「浦島太郎」として伝わる話の型が定まったのは、[[室町時代]]に成立した短編物語『[[御伽草子]]』による。その後は良く知られた昔話として様々な媒体で流通することになる。亀の[[恩返し]](報恩)と言うモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、乙姫、「浦島太郎」として伝わる話の型が定まったのは、室町時代に成立した短編物語『御伽草子』による。その後は良く知られた昔話として様々な媒体で流通することになる。亀の恩返し(報恩)と言うモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、乙姫、[[龍宮|竜宮城]]、[[玉手箱]]が登場するのも中世であり、『御伽草子』の出現は浦島物語にとって大きな変換点であった、玉手箱が登場するのも中世であり、『御伽草子』の出現は浦島物語にとって大きな変換点であった<!--{{sfnp|<ref>三浦|, 1989|p=180}}, p180</ref>あたりに見えるようだが、不詳。しかし以下文で出典付きで述べているのでrefはそちらにゆだねる-->。
「御伽草子」の稿本といえば、普通「御伽文庫」版を指すことが慣習的となっている。こちらは江戸時代に版本にされて多くの部数が普及したからである{{Refn|group="注"|「御伽文庫」は、渋川清右衛門が収集して刊行した1720年頃のそれを指すが、実はその50年も前に刊行された丹緑本(たんろくぼん)と同一テキストと判明している<ref>{{Cite journal|和書|author=[[松本隆信]] |date=1963-03 |url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00106199-00000002-0171 |title=御伽草子本の本文について : 小敦盛と横笛草紙 |trans-title=Textual criticism of Koatsumori (小敦盛) and Yokobue-soshi (横笛草紙) (Otogi soshi of Shibukawa edition) compared with their old manuscripts |journal=斯道文庫論集 |ISSN=0559-7927 |publisher=慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 |volume=2 |pages=171-172 |crid=|1050001338946770560}}</ref>。}}{{sfnp|林|2011|p=17}}{{sfnp|Holmes|2014|p=17, note 71}}。

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