差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
86 バイト除去 、 2024年12月12日 (木) 18:49
編集の要約なし
近代版<ref>巌谷小波版/国定教科書以降</ref>の浦島太郎には、善行を行えば報われるという、「仏教的な因果応報思想」が意図的に盛り込まれるとの解説がある<ref>1989, p201</ref>。近代版には、亀が「おれいに竜宮へおつれしましょう」<!--「そのおれいにりゅうぐうへつれていつて上げませう」。(尋常小学国語読本)-->と語っているので、報恩の意志ははっきりしている<ref>この点、理由もわからず連れていかれる中世の物語とは対照的である(下澤)</ref><ref>下澤, 1980, p31</ref>。
しかし、近代版では理不尽にも浦島の結末は短く竜宮で楽しんだ後は老人となってしまう。結果的に自身が不幸に陥ることになるので、報恩といえるかどうか、疑問視もされ<ref name="takada"/>、「アンチ報恩譚」とのレッテルを張る論文すらある<ref name="mukasa">{{citation|和書|last=武笠 |first=俊一武笠俊一<!--Mukasa Shunichi--> |authorlink=本山桂川 |title=, 玉匣から玉手箱へ : 浦島伝承史考 |trans-title=The 浦島伝承史考(The homecoming of Tarow Urashima |journal=), 人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 |volume=25 |year=, volume25, 2007 |url=, https://hdl.handle.net/10076/9716 |pp=75, p75-84}}</ref><!--ノートに書いた通り、武笠論文には概して懐疑的な意見も見える。-->。{{要出典範囲|[[説話|お伽噺]]として理不尽で不合理な教訓をもたらすことになっているのではないかというものだ|date=<ref>要出典範囲:お伽噺として理不尽で不合理な教訓をもたらすことになっているのではないかというものだ, 2017年10月|title=, 永井俊哉 (2017)PHP書籍『浦島伝説の謎を解く』で引いているので当面は残そうかと。}}</ref>。また古い浦島子伝説では報恩の要素は見いだせないとされる{{sfnp|<ref>柳田|, 1971|p=50}}, p50</ref>
中世(『[[#御伽草子|御伽草子]]』、後述)の場合は、主人公が単に老化してあるいは死んで終わるのではなく、鶴と化して「めでたき」結末となっている{{sfnp|牧野|1980|p=129}}ので、より報恩譚として成立する。これについては逆に、亀の放生を行った程度で容易に無限の宝を得られるでは釣り合わない、との批判がみられる{{Refn|日高昭二(1991)、「『御伽草紙』論―心性としてのテクスト」、国文学<ref name="takada"/>。}}。鶴になる結末は何を伝えたいのかわからないとの向きもある<ref name="trivia" />。

案内メニュー