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八郎は諸大竜王の龍水の智徳を与えられ、大蛇となって兄たちやその妻子眷属をとり殺したので、'''1年に1度、9月9日に生贄を差し出すようになった'''。甘楽郡地頭・尾幡権守宗岡〈「岡」の下に「心」〉の一人娘、海津姫が生贄となる番となったが、奥州に向かう途上の三条宮内判官宗光が宗岡のもとに止宿した際それを聞き、9月9日に宗光は姫と共に高井の岩屋に赴いた。大蛇が姿を現すと宗光は一心に観世音菩薩の称名を唱えた。すると大蛇は妄執が除かれたこと、以後は生贄は不要であること、功徳によって神となり当国を利益することを語って群馬郡と緑野郡の境の烏川に飛び去り飯玉の名を託宣した。豊原之朝臣高木左衛門定国という倉賀野の住人がこれを目撃して宗光に報告したので、定国は社を建立して飯玉大明神を祀るよう命じられた。本地は十一面観音で、大同2年(807年)9月19日のことである。 | 八郎は諸大竜王の龍水の智徳を与えられ、大蛇となって兄たちやその妻子眷属をとり殺したので、'''1年に1度、9月9日に生贄を差し出すようになった'''。甘楽郡地頭・尾幡権守宗岡〈「岡」の下に「心」〉の一人娘、海津姫が生贄となる番となったが、奥州に向かう途上の三条宮内判官宗光が宗岡のもとに止宿した際それを聞き、9月9日に宗光は姫と共に高井の岩屋に赴いた。大蛇が姿を現すと宗光は一心に観世音菩薩の称名を唱えた。すると大蛇は妄執が除かれたこと、以後は生贄は不要であること、功徳によって神となり当国を利益することを語って群馬郡と緑野郡の境の烏川に飛び去り飯玉の名を託宣した。豊原之朝臣高木左衛門定国という倉賀野の住人がこれを目撃して宗光に報告したので、定国は社を建立して飯玉大明神を祀るよう命じられた。本地は十一面観音で、大同2年(807年)9月19日のことである。 | ||
− | == | + | == 倉賀野神社・正式な由緒 == |
− | + | 倉賀野神社は、群馬県高崎市倉賀野町にある神社である。 | |
− | + | * 祭神は[[大国魂神|大国魂大神]](おおくにたまのおおかみ)。この神はまた大国主神(おおくにぬしのかみ)の荒魂(あらみたま)とされる。疫病鎮護、医療看護、縁結び、夫婦和合の御神徳がある。御神体は「クニタマさま」と呼ばれる亀形の自然石である。 | |
− | + | * 豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は父帝から東国の平定を命ぜられた。出立のとき、帝から'''亀石'''を授けられた。豊城入彦命は境内に松樹植え、亀石を御霊代(みたましろ)として祭祀をおこなった。 | |
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2024年12月7日 (土) 08:07時点における最新版
那波八郎(ナハハチロウ)とは神道集における、「飯玉明神」のことである。倉賀野神社(江戸時代には「飯玉大明神」と言われていた。)の縁起譚の主人公である。
那波八郎大明神御事[編集]
光仁天皇の御代、上野国群馬郡の群馬太夫満行という地頭には8人の男子がおり、末子の八郎満胤が最も優れていたことから父は八郎を惣領として八郎は上野国の目代となった。しかし満行の死後7人の兄たちは共謀して八郎を殺害し、屍を石の唐櫃に入れて高井郷鳥喰池の中嶋の虵塚の岩屋に納めた。
八郎は諸大竜王の龍水の智徳を与えられ、大蛇となって兄たちやその妻子眷属をとり殺したので、1年に1度、9月9日に生贄を差し出すようになった。甘楽郡地頭・尾幡権守宗岡〈「岡」の下に「心」〉の一人娘、海津姫が生贄となる番となったが、奥州に向かう途上の三条宮内判官宗光が宗岡のもとに止宿した際それを聞き、9月9日に宗光は姫と共に高井の岩屋に赴いた。大蛇が姿を現すと宗光は一心に観世音菩薩の称名を唱えた。すると大蛇は妄執が除かれたこと、以後は生贄は不要であること、功徳によって神となり当国を利益することを語って群馬郡と緑野郡の境の烏川に飛び去り飯玉の名を託宣した。豊原之朝臣高木左衛門定国という倉賀野の住人がこれを目撃して宗光に報告したので、定国は社を建立して飯玉大明神を祀るよう命じられた。本地は十一面観音で、大同2年(807年)9月19日のことである。
倉賀野神社・正式な由緒[編集]
倉賀野神社は、群馬県高崎市倉賀野町にある神社である。
- 祭神は大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)。この神はまた大国主神(おおくにぬしのかみ)の荒魂(あらみたま)とされる。疫病鎮護、医療看護、縁結び、夫婦和合の御神徳がある。御神体は「クニタマさま」と呼ばれる亀形の自然石である。
- 豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は父帝から東国の平定を命ぜられた。出立のとき、帝から亀石を授けられた。豊城入彦命は境内に松樹植え、亀石を御霊代(みたましろ)として祭祀をおこなった。
関連項目[編集]
- 大国魂神:倉賀野神社の祭神。これが民間伝承化したものが那波八郎と考える。
外部リンク・参考文献[編集]
- 縁結び・夫婦和合の御神徳・御由緒(最終閲覧日:24-12-06)