「出雲建」の版間の差分

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== 記録 ==
 
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『古事記』景行天皇段によれば、倭建命(やまとたけるのみこと)は天皇の命で筑紫の熊曾建(くまそたける)を討伐したのち、帰途に出雲に入った。そしてそこにいる出雲建を殺そうと考え、まず出雲建と親しくなった。倭建命は密かに赤檮(イチイ)の木で木刀を作って偽の佩刀とし、出雲建と肥河(斐伊川)で水浴した際、先に川から上がって出雲建の刀を身に着けて刀の交換を提案した。果たして、遅れて川から上がった出雲建は偽の刀を身につけたが、刀を抜くことが出来ず、倭建命に討たれた<ref name="古事記">『新編日本古典文学全集 1 古事記』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、pp. 221-223。</ref>。そして倭建命は次の歌を詠んだという。
 
『古事記』景行天皇段によれば、倭建命(やまとたけるのみこと)は天皇の命で筑紫の熊曾建(くまそたける)を討伐したのち、帰途に出雲に入った。そしてそこにいる出雲建を殺そうと考え、まず出雲建と親しくなった。倭建命は密かに赤檮(イチイ)の木で木刀を作って偽の佩刀とし、出雲建と肥河(斐伊川)で水浴した際、先に川から上がって出雲建の刀を身に着けて刀の交換を提案した。果たして、遅れて川から上がった出雲建は偽の刀を身につけたが、刀を抜くことが出来ず、倭建命に討たれた<ref name="古事記">『新編日本古典文学全集 1 古事記』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、pp. 221-223。</ref>。そして倭建命は次の歌を詠んだという。
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<blockquote>やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 黒葛(つづら)多纏(さはま)き さ身無しにあはれ<ref name="古事記"/></blockquote>
  
 
『[[日本書紀]]』には出雲建に関する記述はないが、同工異曲の説話として、[[崇神天皇]]60年7月条において[[出雲振根]]による弟の[[飯入根]]の討伐伝承が記される{{Sfn|出雲建(国史)}}{{Sfn|出雲建(日本人名大辞典)}}{{Sfn|出雲建(古代氏族)|2010年}}。その中では「八雲立つ 出雲武(いずもたける:飯入根を指す)が 佩ける太刀 黒葛多巻き さ身なしにあはれ」<ref>『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年([[ジャパンナレッジ]]版)、pp. 291-292。</ref>という同様の歌も載せられる{{Sfn|出雲建(国史)}}。
 
『[[日本書紀]]』には出雲建に関する記述はないが、同工異曲の説話として、[[崇神天皇]]60年7月条において[[出雲振根]]による弟の[[飯入根]]の討伐伝承が記される{{Sfn|出雲建(国史)}}{{Sfn|出雲建(日本人名大辞典)}}{{Sfn|出雲建(古代氏族)|2010年}}。その中では「八雲立つ 出雲武(いずもたける:飯入根を指す)が 佩ける太刀 黒葛多巻き さ身なしにあはれ」<ref>『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年([[ジャパンナレッジ]]版)、pp. 291-292。</ref>という同様の歌も載せられる{{Sfn|出雲建(国史)}}。

2024年11月29日 (金) 22:15時点における版

出雲建(いずもたける)は、『古事記』等に伝わる古代日本の人物。『日本書紀』に記載はない。

ヤマトタケル(倭建命/日本武尊)に征伐された出雲の[豪族である。

記録

『古事記』景行天皇段によれば、倭建命(やまとたけるのみこと)は天皇の命で筑紫の熊曾建(くまそたける)を討伐したのち、帰途に出雲に入った。そしてそこにいる出雲建を殺そうと考え、まず出雲建と親しくなった。倭建命は密かに赤檮(イチイ)の木で木刀を作って偽の佩刀とし、出雲建と肥河(斐伊川)で水浴した際、先に川から上がって出雲建の刀を身に着けて刀の交換を提案した。果たして、遅れて川から上がった出雲建は偽の刀を身につけたが、刀を抜くことが出来ず、倭建命に討たれた[1]。そして倭建命は次の歌を詠んだという。

やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 黒葛(つづら)多纏(さはま)き さ身無しにあはれ[1]

日本書紀』には出雲建に関する記述はないが、同工異曲の説話として、崇神天皇60年7月条において出雲振根による弟の飯入根の討伐伝承が記されるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。その中では「八雲立つ 出雲武(いずもたける:飯入根を指す)が 佩ける太刀 黒葛多巻き さ身なしにあはれ」[2]という同様の歌も載せられるテンプレート:Sfn

そのほか『伊勢国風土記』逸文では、伊勢の国号由来の条において、出雲神の子の「出雲建子命」(別名を伊勢津彦神/天櫛玉命)という神名が見えるが、これを出雲建の子神と解釈する説がある[3]

考証

名称の「イズモタケル」は、ヤマトタケル(倭建)やクマソタケル(熊曾建)と同様に、「(地名)+勇猛な人」の意になるテンプレート:Sfn[1]。地方首長を「タケル」とするのは熊襲・出雲のみで、いずれもヤマトタケルに征伐されることから、説話の形成時期のこれら辺境の2地域が、中央から見て「征服されるべき地域」に位置づけられていたとする説がある[1]テンプレート:Sfn

参考文献

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 『新編日本古典文学全集 1 古事記』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、pp. 221-223。
  2. 『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年(ジャパンナレッジ版)、pp. 291-292。
  3. 『新編日本古典文学全集 5 風土記』小学館、2003年(ジャパンナレッジ版)、pp. 448-449。