「阿豆良神社」の版間の差分

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動
16行目: 16行目:
 
祭神の天甕津媛命は『[[出雲国風土記]]』などに記載されている出雲神話の神という。社伝によると、以下の話が伝わっている。
 
祭神の天甕津媛命は『[[出雲国風土記]]』などに記載されている出雲神話の神という。社伝によると、以下の話が伝わっている。
  
*[[垂仁天皇]]の皇子[[誉津別命|品津別皇子]]7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に[[天甕津媛命]]が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の建岡君に、天甕津媛命を探し出すように命じた。
+
*[[垂仁天皇]]の皇子[[誉津別命|品津別皇子]]7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に[[天甕津日女命|天甕津媛命]]が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の建岡君に、[[天甕津日女命|天甕津媛命]]を探し出すように命じた。
 
*建岡君は[[美濃国]]花鹿山(現[[岐阜県]][[揖斐郡]][[揖斐川町]]の[[花長上神社]])に登り、[[サカキ|榊]]の枝で縵を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう。」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが阿豆良神社という。
 
*建岡君は[[美濃国]]花鹿山(現[[岐阜県]][[揖斐郡]][[揖斐川町]]の[[花長上神社]])に登り、[[サカキ|榊]]の枝で縵を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう。」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが阿豆良神社という。
  

2024年11月24日 (日) 14:48時点における版

阿豆良神社(あずらじんじゃ)は、愛知県一宮市にある神社である。旧社格は郷社。

式内社の尾張国丹羽郡「阿豆良神社」である。阿豆良とは縵から転じたといわれている。

祭神

  • 天甕津媛命(阿麻彌加都比女とも記述されている):賀茂系の総母神的女神。二柱の夫を持つ。
  • 倭姫命

概況

  • 創建時期は垂仁天皇57年(28年)とされており、尾張国でも古い神社とされている。
  • 1564年永禄7年)、戦乱のため焼失するが、1587年天正15年)に再建される。
  • 江戸時代は「吾蔓大明神」と称されていたが、1872年(明治5年)に阿豆良神社に改称し、郷社となる。
  • 元の位置は現在地の北約200m付近という。別の説では、現在地の北約1kmにある馬見塚遺跡(縄文時代古墳時代祭祀遺跡)ともいう。現在地に移転したのは1587年(天正15年)の再建時と推測される。

社伝

祭神の天甕津媛命は『出雲国風土記』などに記載されている出雲神話の神という。社伝によると、以下の話が伝わっている。

  • 垂仁天皇の皇子品津別皇子7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に天甕津媛命が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の建岡君に、天甕津媛命を探し出すように命じた。
  • 建岡君は美濃国花鹿山(現岐阜県揖斐郡揖斐川町花長上神社)に登り、の枝で縵を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう。」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが阿豆良神社という。