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== 概要 ==
 
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=== 『日本書紀』巻第二 神代下 第九段本文 ===
 
=== 『日本書紀』巻第二 神代下 第九段本文 ===
【原文】{{Quotation|一云「二神、遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。
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【原文】<blockquote>一云「二神、遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。
  
故加遣倭文神建葉槌命者則服。故二神登天也。倭文神、此云斯圖梨俄未。」}}【書き下し文】{{Quotation|<ruby><rb>一</rb><rt>ある</rt></ruby>に<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>わく。「<ruby><rb>二神</rb><rt>ふたはしらのかみ</rt></ruby>、<ruby><rb>遂</rb><rt>つい</rt></ruby>に<ruby><rb>邪神</rb><rt>あしきかみ</rt></ruby>及び<ruby><rb>草木石</rb><rt>くさきのいわ</rt></ruby>の類を<ruby><rb>誅</rb><rt>つみな</rt></ruby>いて、皆<ruby><rb>已</rb><rt>すで</rt></ruby>に<ruby><rb>平</rb><rt>む</rt></ruby>げ<ruby><rb>了</rb><rt>おわ</rt></ruby>る。<ruby><rb>其</rb><rt>そ</rt></ruby>の<ruby><rb>服</rb><rt>うべな</rt></ruby>わぬ者は、<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby><ruby><rb>星神</rb><rt>ほしの</rt></ruby><ruby><rb>香</rb><rt>か</rt></ruby><ruby><rb>香</rb><rt>が</rt></ruby><ruby><rb>背</rb><rt>せ</rt></ruby><ruby><rb>男</rb><rt>お</rt></ruby>のみ。
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故加遣倭文神建葉槌命者則服。故二神登天也。倭文神、此云斯圖梨俄未。」</blockquote>【書き下し文】{{Quotation|<ruby><rb>一</rb><rt>ある</rt></ruby>に<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>わく。「<ruby><rb>二神</rb><rt>ふたはしらのかみ</rt></ruby>、<ruby><rb>遂</rb><rt>つい</rt></ruby>に<ruby><rb>邪神</rb><rt>あしきかみ</rt></ruby>及び<ruby><rb>草木石</rb><rt>くさきのいわ</rt></ruby>の類を<ruby><rb>誅</rb><rt>つみな</rt></ruby>いて、皆<ruby><rb>已</rb><rt>すで</rt></ruby>に<ruby><rb>平</rb><rt>む</rt></ruby>げ<ruby><rb>了</rb><rt>おわ</rt></ruby>る。<ruby><rb>其</rb><rt>そ</rt></ruby>の<ruby><rb>服</rb><rt>うべな</rt></ruby>わぬ者は、<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby><ruby><rb>星神</rb><rt>ほしの</rt></ruby><ruby><rb>香</rb><rt>か</rt></ruby><ruby><rb>香</rb><rt>が</rt></ruby><ruby><rb>背</rb><rt>せ</rt></ruby><ruby><rb>男</rb><rt>お</rt></ruby>のみ。
  
 
<ruby><rb>故</rb><rt>かれ</rt></ruby>また<ruby><rb>倭文神</rb><rt>しとりがみ</rt></ruby><ruby><rb>建葉槌命</rb><rt>たけはづちのみこと</rt></ruby>を<ruby><rb>遣</rb><rt>つか</rt></ruby>わせば、<ruby><rb>則</rb><rt>すなわ</rt></ruby>ち<ruby><rb>服</rb><rt>うべな</rt></ruby>いぬ。故、二神<ruby><rb>天</rb><rt>あま</rt></ruby>に登る。倭文神、此を<ruby><rb>斯</rb><rt>し</rt></ruby><ruby><rb>圖</rb><rt>と</rt></ruby><ruby><rb>梨</rb><rt>り</rt></ruby><ruby><rb>俄</rb><rt>が</rt></ruby><ruby><rb>未</rb><rt>み</rt></ruby>と云う。」}}【現代語訳】{{Quotation|一説によれば「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類を誅伐し、皆すでに平定した。唯一従わぬ者は、星の神・カガセオのみとなった。
 
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2024年11月23日 (土) 12:20時点における最新版

天津甕星(あまつみかぼし)は、日本神話に登場する星の神である[1][2]。別名は天香香背男(あめのかがせお)[3][4]香香背男(かがせお)。

概要[編集]

『古事記』には登場しない[5]。『日本書紀』の葦原中国平定にのみ登場する[6][7]

『日本書紀』巻第二 神代下 第九段本文[編集]

【原文】

一云「二神、遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。 故加遣倭文神建葉槌命者則服。故二神登天也。倭文神、此云斯圖梨俄未。」

【書き下し文】テンプレート:Quotation【現代語訳】テンプレート:Quotation

本文(上述)では、経津主神(ふつぬしのかみ)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)は不順(まつろ)わぬ鬼神等をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかったテンプレート:Sfn。そこで倭文神(しとりがみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣わし懐柔したとしているテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn

『日本書紀』巻第二 神代下 第九段一書(二)[編集]

【原文】テンプレート:Quotation【書き下し文】テンプレート:Quotation【現代語訳】テンプレート:Quotation

第二の一書では天津神となっているテンプレート:Sfn。経津主神と武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている[8]テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn

鹿島神宮や静神社の社伝によれば、武甕槌命は香島(723年に鹿島と改名)の見目浦(みるめのうら)に降り(現在の鹿島神宮の位置)テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn、磐座に坐した(鹿島神郡の要石とも)テンプレート:Sfn。天香香背男は常陸の大甕(現在の日立市大甕、鹿島神宮より北方70 km)を根拠地にしており、派遣された建葉槌命は静の地(大甕から西方約20 km)に陣を構えて対峙したテンプレート:Sfn。建葉槌命の陣は、茨城県那珂郡瓜連(うりづら)町の静神社テンプレート:Sfnと伝えられるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn

「カガ(香々)」は「輝く」の意で、星が輝く様子を表したものであると考えられるテンプレート:Sfn。神威の大きな星を示すというテンプレート:Sfn平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、天津甕星は金星のことであるとしている。

星や月を神格化した神は世界各地に見られ、特に星神は主祭神とされていることもある。 しかし、日本神話においては星神は服従させるべき神、すなわち「まつろわぬ神」として描かれている。これについては、星神を信仰していた部族があり、それが大和王権になかなか服従しなかったことを表しているとする説がある。

全国の星神社星宮神社の多くは天之御中主神磐裂神根裂神経津主神を祀っているが、愛知県名古屋市の星神社 (名古屋市)星宮社など一部は天津甕星を祭神としている。

茨城県日立市大甕神社は、建葉槌命を主祀神とする[9](一説には素戔嗚尊とも)[10]。 同神社伝では、甕星香々背男(天津甕星)は常陸国の大甕山に居を構えて東国を支配していたとしている。大甕神社の神域を成している宿魂石は、甕星香々背男が化したものと伝えられている。

葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方神と同一神とされることもあり、また、神仏習合の発想では北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある。

脚注[編集]

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参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 平凡社, 1937, コマ32, p44
  2. 坂本・家永・井上・大野, 1994 p455
  3. 植松, 1920, コマ124, p101
  4. 坂本・家永・井上・大野, 1994, p459
  5. 平凡社, 1937, コマ32, p44
  6. 経済雑誌社, 1917, コマ34-35, p51-52
  7. 社會教育協會, 1942, コマ23, p13
  8. テンプレート:Cite book
  9. テンプレート:Cite book
  10. テンプレート:Cite book