「肥長比売」の版間の差分

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2024年11月20日 (水) 17:27時点における版

ヒナガヒメ(肥長比売、肥長批賣)は、『古事記』に伝わる人物、または神[1][注 1]

概要

『古事記』中巻の垂仁天皇条に登場する。『日本書紀』『出雲国風土記』には見られない。ヒ(肥)は肥河(斐伊川)を表している[2]

記述

本牟智和気御子が出雲の大神(葦原色許男大神)を拝し、肥河で饗膳を受けた際に言葉が話せるようになった後、肥長比売と一夜の結婚をした。しかし、その美人(をとめ)をこっそり覗き見ると蛇だった。御子は畏れて逃げ出し、肥長比売はそれに傷ついて(本文:患、うれへ)海を光(て)らしながら船で追いかけてくる。そのため御子はますます畏れを感じ、山の鞍部から船を引いて越えていき、都へ逃げていった。[3]

考証

「肥の河の蛇の姫」テンプレート:Sfn、「肥河の精霊としての蛇体の女神テンプレート:Sfnの意とされ、海を光らしてやってくる行為は国作りの段の三輪山の神にも見られる、蛇身と関連を持つ特徴であるテンプレート:Sfn。また、雷神は蛇神と深く結びつけられることから、この行為を雷神の性格の具体化とし、ヒナガヒメを雷神と解釈する説もあるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn

男が姿を見て逃げ出す展開は黄泉国訪問に類似しており、見るなのタブーの形式を取る話であるとされるテンプレート:Sfnが、本文ではホムチワケは明確に禁を課せられていないため、伝承者や『古事記』編纂者によって意図的な改変が施されているのではないかとの指摘もあるテンプレート:Sfn

『古事記』でホムチワケの出雲訪問にヒナガヒメとの異類婚姻譚が挿入されている点について、上述した禁が書かれていないことやヒナガヒメが「恥ぢ」ている[注 2]のではなく「患へ」ているという表記の相違、結婚したにもかかわらず子の誕生や豊饒をもたらすことなく破綻で終わらせるなどの物語の改変によって、国つ神の祟りや凶兆を受けた御子は天皇の位につけないという『古事記』中巻の定型[注 3]に当てはめ、ホムチワケが皇位を継承できない理由を説明しているとする説があるテンプレート:Sfn。この他にも、前述されるキヒサツミによる饗膳を出雲の服属を表しているとしたうえで、献上しようとしたら御子が言葉を発したため服属が完了せず、加えてヒナガヒメとの結婚の失敗を語ることによって出雲と中央政権との関係が改善しなかったことを示し、後の景行天皇条でのまつろわぬ者としての出雲の描写に繋がっていくとする見方もあるテンプレート:Sfn

祀る神社

脚注

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注釈

  1. 新潮日本古典集成では本編頭注で女神と解説する一方、神名の釈義に肥長比売を掲載していない。
  2. 伊耶那美命は辱(はぢ)、豊玉毗売は恥(はづかし)である。
  3. 『古事記』景行天皇条の倭建命に対する白仲哀天皇条の香坂王忍熊王に対する怒り猪がこれに該当。

出典

  1. 西宮, 2014, p151
  2. 西郷, 1988, pp254-255
  3. 中村, 2009, pp126-128, 346-349

参考文献

関連項目

外部リンク