伝承では[[共工]]は[[祝融]]の子とされているのだが、[[共工]]を[[黄帝]]とすると事実は逆で[[共工]]が父、[[祝融]]が子だと考える。[[祝融]]が両親すなわち[[黄帝]]とその妻を殺した、とすれば[[寒浞]]が父(も同然)の[[羿|后羿]]を殺した話と一致したモチーフを持つことになるからだ。ただし、「'''夏の建国神話'''」としては「'''帝俊が父親の[[羿|后羿]]を殺して王となって夏を建国した。'''」ということが事実だったとしても、二人の子孫の方がそんな話を嫌がって、帝俊と[[羿|后羿]](すなわち[[祝融]]と[[黄帝]])が父子だということはひた隠しにしただろうと思うし、夏の王の事績をみても、[[羿|后羿]]の方が王位を狙って王家を混乱させた悪者のように描かれているので、「'''夏の建国神話'''」を作った人たちは黄帝を悪く思っていただろう、と思うので、再構築した話では、帝俊と[[ミャオ族]]は、「少しだけ親戚」みたいな感じにとどめておくこととにした。帝俊(火雷神)と対立して、帝俊(火雷神)の火である太陽を射落とすのだから、伝統的な神話の形式から見て[[羿]]には言われずとも水神、すなわち[[黄帝]]の性質があるように思う。「弓の名手」である点も[[羿]]と[[黄帝]]の共通した性質だ。
=== 蛙姫とバロン ===
管理人が再構築した物語は、あくまでも「夏の建国神話」としてのものなので、蛙姫とバロン(女媧)をないがしろにするつもりはないのだが、元の墨子に女性が出てこないので、最低限の出演にとどめた。
=== 槃瓠と羿 ===