明代には、竜の子である「竜生九子」の一つで、その五番目に当たるとされた。飲食を好むという。
== 饕餮文 ==
宋(960-1279年)の時代に古代の青銅器を蒐集する文化が起き、古典の文献を参考に、周代の鼎に装飾された架空の人獣像を'''饕餮文'''(とうてつもん)と呼んだ、とのことである。これらの装飾が当初から饕餮と呼ばれる存在の描写であったという証拠はない。そのため、中国考古学の専門家である林巳奈夫はこれを「獣面紋」と呼んでいる<ref>林巳奈夫, 神と獣の紋様学 ― 中国古代の神がみ, 2004, 2004年7月1日, 吉川弘文館, p5, isbn:4-642-07930-0</ref>。
殷代から周代にかけて'''饕餮文'''(とうてつもん)と呼ばれる模様が青銅器や玉器の修飾に部分的に用いられる。この頃の王は神の意思を人間に伝える者として君臨していた。'''その地位を広く知らしめ、神を畏敬させることで民を従わせる為に、祭事の道具であるこのような器具に饕餮文を入れ'''ものとされる。'''良渚文化の玉琮には、饕餮文のすぐ下に王の顔が彫られたものも出土している'''。ただし、これらの装飾が当初から饕餮と呼ばれる存在の描写であったという証拠は何もなく、後世に饕餮文と呼ばれているだけである。そのため、中国考古学の専門家である林巳奈夫はこれを「獣面紋」と呼んでいる<ref>林巳奈夫, 神と獣の紋様学 ― 中国古代の神がみ, 2004, 2004年7月1日, 吉川弘文館, p5, isbn:4-642-07930-0</ref>。林巳奈夫は「獣面紋」を「(天)帝」のことではないか、と考察している<ref>林巳奈夫, 神と獣の紋様学 ― 中国古代の神がみ, 2004, 2004年7月1日, 吉川弘文館, p13, isbn:4-642-07930-0</ref>。(とうてつもん)と呼ばれる模様が青銅器や玉器の修飾に部分的に用いられる。この頃の王は神の意思を人間に伝える者として君臨していた。その地位を広く知らしめ、神を畏敬させることで民を従わせる為に、祭事の道具であるこのような器具に饕餮文を入れたものとされる。良渚文化の玉琮には、饕餮文のすぐ下に王の顔が彫られたものも出土している。
饕餮文を'''蚩尤'''を表しているとする文献があることや、同じ炎帝の子孫とされていることから'''本来饕餮は蚩尤と同一の存在だったのではないかと考えられている'''<ref>袁珂『中国神話・伝説大事典』大修館書店1999年、515,516頁。</ref>。また、『山海経』に登場する'''狍鴞'''(ほうきょう)という獣も饕餮と同一とされる<ref>『中国神話・伝説大事典』617頁。</ref>。
饕餮文を'''蚩尤'''を表しているとする文献があることや、同じ炎帝の子孫とされていることから'''本来饕餮は蚩尤と同一の存在だったのではないかと考えられている'''<ref>袁珂『中国神話・伝説大事典』大修館書店1999年、515,516頁。</ref>。また、『山海経』に登場する'''狍鴞'''(ほうきょう)という獣も饕餮と同一とされる<ref>『中国神話・伝説大事典』大修館書店1999年、617頁。</ref>。
明代には、竜の子である「竜生九子」の一つで、その五番目に当たるとされた。飲食を好むという。
== 獣面の特徴 ==