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ヴァハグンは、アシシャット集落に近いカルケという山の斜面にあるタロン地区に、花嫁アストヒクと女神[[アナヒット]]とともに三部構成の寺院を建てて祀られていた<ref>Katvalyan, 1985</ref><ref>Petrosyan, 2007, pp6-7</ref><ref>Petrosyan, 2018, p207</ref>。 | ヴァハグンは、アシシャット集落に近いカルケという山の斜面にあるタロン地区に、花嫁アストヒクと女神[[アナヒット]]とともに三部構成の寺院を建てて祀られていた<ref>Katvalyan, 1985</ref><ref>Petrosyan, 2007, pp6-7</ref><ref>Petrosyan, 2018, p207</ref>。 | ||
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ヴァハグンはヘレニズム時代にはヘーラークレースと同一視されていた<ref>Petrosyan, 2018, p207</ref>。5世紀のアルメニア語訳聖書では、2 Maccabees 4:19 でヴァハグンはヘーラークレースの訳語として使われており、ホレナツィーは『ヴァハグンの歌』はヘーラークレースを思わせる英雄的行為を語っていると述べている<ref>Russell, 1987, p196</ref>。さらに稀に、ヴァハグンは太陽神アポロンと同一視されることもあった<ref>Petrosyan, 2007, p6</ref>。洗礼者ヨハネは、取り壊されたヴァハグン寺院の近くに彼に捧げられた教会が建てられたことから、「ヴァハグンの性格を受け継ぐキリスト教徒」とも呼ばれている<ref>Petrosyan, 2007, =6</ref>。 | ヴァハグンはヘレニズム時代にはヘーラークレースと同一視されていた<ref>Petrosyan, 2018, p207</ref>。5世紀のアルメニア語訳聖書では、2 Maccabees 4:19 でヴァハグンはヘーラークレースの訳語として使われており、ホレナツィーは『ヴァハグンの歌』はヘーラークレースを思わせる英雄的行為を語っていると述べている<ref>Russell, 1987, p196</ref>。さらに稀に、ヴァハグンは太陽神アポロンと同一視されることもあった<ref>Petrosyan, 2007, p6</ref>。洗礼者ヨハネは、取り壊されたヴァハグン寺院の近くに彼に捧げられた教会が建てられたことから、「ヴァハグンの性格を受け継ぐキリスト教徒」とも呼ばれている<ref>Petrosyan, 2007, =6</ref>。 | ||
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+ | アルメニア神話のヴァハグンはイラン神話のウルスラグナと言語的に同起源とのことである。ウルスラグナと同様、本来の意味は「火兎(兎炎)」と考える。ナルト叙事詩のバトラズ、インド神話のヴィシュヌとも類縁性のある神ではないだろうか。また、イラン神話のアタール、インド神話のアグニといった、印欧語族の古い「火の神」とも広く類縁性があると考える。この名前の群は、神であれば「火神」、半神半人であればヘーラークレースのような英雄、時にヘルメースのような「盗賊の守護神」、その延長としてオーディンやロキといった狡猾さにやや偏った「知恵の神」、悪神であるときはヴリトラのように干ばつを起こす神、といった特徴を備えているように思う。 | ||
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** Abegi͡an =Manuk, http://serials.flib.sci.am/Founders/Abexyan-ist.drevn.lit/book/content.html, Istorii͡a drevnearmi͡anskoĭ literatury, Izd.-vo Akedemii nauk Arm. SSR, 1948, Erevan, History of Old Armenian Literature, Manuk Abeghian | ** Abegi͡an =Manuk, http://serials.flib.sci.am/Founders/Abexyan-ist.drevn.lit/book/content.html, Istorii͡a drevnearmi͡anskoĭ literatury, Izd.-vo Akedemii nauk Arm. SSR, 1948, Erevan, History of Old Armenian Literature, Manuk Abeghian | ||
** Dumézil George, The Destiny of the Warrior, University of Chicago Press, 1970, Hiltebeitel, Alf, Georges Dumézil | ** Dumézil George, The Destiny of the Warrior, University of Chicago Press, 1970, Hiltebeitel, Alf, Georges Dumézil | ||
− | * | + | ** http://tert.nla.am/archive/NLA%20AMSAGIR/Aramazd/2011(1).pdf, Vyacheslav Ivanov(philologist), 2011, A Probable Structure of a Protoform of the Ancient Armenian Song of Vahagn, Aramazd: Armenian Journal of Near Eastern Studies, volume6, pages7–23, issn:1829-1376 |
− | * | + | ** 1985, Vahagn, Soviet Armenian Encyclopedia, Yerevan, https://hy.wikisource.org/wiki/%D4%B7%D5%BB:%D5%80%D5%A1%D5%B5%D5%AF%D5%A1%D5%AF%D5%A1%D5%B6_%D5%8D%D5%B8%D5%BE%D5%A5%D5%BF%D5%A1%D5%AF%D5%A1%D5%B6_%D5%80%D5%A1%D5%B6%D6%80%D5%A1%D5%A3%D5%AB%D5%BF%D5%A1%D6%80%D5%A1%D5%B6_(Soviet_Armenian_Encyclopedia)_11.djvu/242, Katvalyan M., Hambardzumyan Viktor, volume11, pages242 |
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− | * | + | ** Russell James R., Zoroastrianism in Armenia, Harvard University Press, 1987, isbn:0-674-96850-6, Cambridge, Massachusetts |
− | * | + | ** Encyclopædia Iranica, volume2, fascicle4, article:ARMENIA AND IRAN iii. Armenian Religion, 1986, J. R. Russell, pages438–434, https://iranicaonline.org/articles/armenia-iii |
− | == | + | == 参考文献2 == |
* [https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Gazetteer/Places/Asia/Armenia/_Texts/KURARM/34*.html A History of Armenia] (Armenian Mythology) by Vahan M. Kurkjian. Published by the Armenian General Benevolent Union of America 1958/YR. | * [https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Gazetteer/Places/Asia/Armenia/_Texts/KURARM/34*.html A History of Armenia] (Armenian Mythology) by Vahan M. Kurkjian. Published by the Armenian General Benevolent Union of America 1958/YR. | ||
− | == | + | == 関連項目 == |
− | *[[ | + | * [[アストヒク]]:ヴァハグンの配偶神。 |
− | *[[ | + | * [[ヴィシャップ]]:ヴァハグンが倒した、とされている龍。 |
+ | * [[ハイク・ナハペト]]:アルメニア神話の始祖的英雄。弓の名手。 | ||
+ | * [[ウルスラグナ]]:イラン神話。ヴァハグンと同語源の神。 | ||
== 参照 == | == 参照 == |
2023年1月8日 (日) 19:02時点における最新版
ヴァハグン(Վահագն、Vahagn Vishapakagh=ヴィシャップ殺しのヴァハグン、ヴァハクン)は、アルメニアに古代から語り継がれる太陽と火と戦いの神である[1]。学者たちは、アルメニアの先史時代のパンテオンの雷神、あるいは太陽と火の神、また戦争、勇気、勝利の神であるとみなしている[2][3]。ある時から、彼の存在はアラマズドとアナヒットとトライアドを形成する[4]。ヴァハグンは、語源的にはインド・イランの神ウルスラグナのパルティア名である*Varhraγnに由来するが、2つの神には重要な相違点がある[5]。
ヴァハグンは、アシシャット集落に近いカルケという山の斜面にあるタロン地区に、花嫁アストヒクと女神アナヒットとともに三部構成の寺院を建てて祀られていた[6][7][8]。
アルメニアがヘレニズムの影響を受けた古代以降、ヴァハグンはギリシア神話のヘーラクレースと同一視されたが、稀にアポローンとも同一視された[9]。イラン神話のウルスラグナと同一視されている。
エウヘメリズム信仰では、全ての神は元は人間であり、ヴァハグンも同様に紀元前6世紀のエルワンド王の息子でバブとティランの兄弟、アルメニアの王位継承者として記録されている。
歴史家モーセス・ホレナツィのアルメニア史には、彼の誕生とドラゴン(ヴィシャップ)殺しの偉業を謳った歌が収録されている。[10]
名前[編集]
ヴァハグンという名称は、アヴェスターに登場するインド・イランの勝利の神の名前であるウルスラグナや、雷神インドラの通常の諡号であるヴェーダのウルトラハン(Vŗtrahan)と同義語である[11]。アルメニア語はパルティア語の*Varhraγnから借用され、それ以前の形*Varhagnから発展したものである[12]。アルメニアの旧暦では、月の27日はヴァハグンと呼ばれていた[13]。また、古代アルメニア人は、ヴァハグンにちなんで火星をアトラヘル(「火の髪」)と呼んでいた[14]。今日、アルメニア人の間では、ヴァハグンは男性の名前として使われている。
歴史的証言[編集]
ヴァハグンは古典アルメニア語の文献に数多く登場する[15]。例えば、アガサンゲロスによるとされる歴史の中で、アルメニア王ティリダテス3世は、民衆への挨拶の中で、アラマズド、アナヒット、ヴァハグンという三神を呼び覚ましている。「神々の助けによって健康と繁栄がもたらされますように、男らしいアラマズドからは豊かな満腹感が、女神アナヒットからは摂理が、そして勇敢なヴァハグンからは勇気がもたらされますように[16]。」
歴史家モヴセス・ホレナツィーは、ヴァハグンをティグラネス(ホレナツィーの歴史におけるアルメニアの複数の王の複合神話)の息子の一人とし、彼について次のような歌を記録している[17][18]。
オリジナル古典アルメニア語
Երկնէր երկին, երկնէր երկիր,
երկնէր և ծովն ծիրանի.
երկն ի ծովուն ունէր և
զկարմրիկն եղեգնիկ.
ընդ եղեգան փող ծուխ ելանէր,
ընդ եղեգան փող բոց ելանէր.
և ի բոցոյն վազէր
խարտեաշ պատանեկիկ.
նա հուր հեր ունէր,
… բոց ունէր մօրուս,
և աչկունքն էին արեգակունք:
翻訳
Erknēr erkin, erknēr erkir,
erknēr ew covn cirani
erkn i covown ownēr ew
zkarmrikn ełegnikn.
ənd ełegan p‛oł cowx ełanēr,
ənd ełegan p‛oł boc‛ ełanēr,
ew i boc‛oyn vazēr
xarteaš patanekik.
na howr her ownēr,
… boc‛ ownēr mōrows,
ew ač‛kownk‛n ēin aregakownk‛.
日本語翻訳
天は産声を上げ、地も産声を上げた。
紫紺の海も産声を上げた。
海中での労働の苦しみも抱えたままの
小さな赤い葦。
葦笛に沿って煙が昇っていく。
葦笛に沿って炎が昇っていく。
そして、炎と
と、赤毛の少年が飛び出してきた。
彼は髪に(天の)火を持っていた。 そして、ヒゲに炎があった。そして、その瞳は太陽だった。
ホレナツィは、その歌の続きは語られておらず、次にはヴァハグンがアルメニア神話の竜であるヴィシャップといかに戦い、征服したかを語っている、と述べている[19]。このようなヴァハグンの特徴が、"ヴィシャップ殺し "あるいは "龍殺し "を意味するヴィシャパカグという称号の理由である[20]。
7世紀のアルメニアの作家アナニア・シラカツィーは、ヴァハグがバルシャム(=バールシャミン)から藁を盗み、帰り道にそれを落として天の川を作ったという神話を伝えている。アルメニア語で天の川のことを「Hardagoghi chanaparh」(文字通り「わら盗りの道」)と呼ぶのは、このことに由来していると思われる[21]。
寺院[編集]
カルケ山麓のアシュティシャットにあったヴァハグンの総本山は、ヴァハグンの子孫であるヴァヘヴニまたはヴァハヌニの貴族を祭司としていたため、しばしばヴァヘヴァネアまたはヴァヘヴァヘアン寺院と呼ばれた[22]。ヴァハグンはアナヒット、アストギクと共に神殿に祀られていた[23][24][25]。アガサンゲロスによれば、4世紀初頭、ティリダテス3世がキリスト教に改宗した後、アルメニア教会の初代教主グレゴリウス・イルミネーターがアシュティシャットに行き、ヴァハグンの神殿を破壊したとのことである[26][27]。破壊された神殿の跡地には教会が建てられ、アルメニア教会の最初の母教会となった[28][29]。
解釈と比較神話学[編集]
ジョージ・デュメジルは、ヴァハグンがアヴェスタのウルスラグナよりもヴェーダのヴリトラハン・インドラに近いと指摘した。ヴリトラハン・インドラはヴァハグンと同様に龍や蛇を倒す者として描かれているが、ウルスラグナはそうではないからである[30]。ヴァハグンはしばしばインドラの対語とみなされてきたが、アルメン・ペトロシアンは、両者の類似は直接的な借用の結果ではなく、インド・ヨーロッパ語の共通性が根底にあるとみなしており、そうでなければウルスラグナとの非類似性は不可解であるとしている[31][32]。言語学者のヴャチェスラフ・イヴァノフは、ホレナツィが記録した『ヴァハグンの歌』を「インド・ヨーロッパ語族の詩の顕著な例の一つ」とみなしている[33]。イワノフの考えでは、ヴァハグンの神話には、後にイランで生まれたヴェレストラグナ神話や、敵を迫害する神というインド・ヨーロッパ語族の神話の層がいくつか含まれている[34]。アルメン・ペトロシアンは、ヴァハグンを完全な借り物というよりも、イラン人の名前を持ったイラン以前のアルメニアの神とみなしている[35]。また、ペトロシアンは、ヴァハグンとヴェーダの火の神アグニとの出生に関する記述の類似性から、両者の類似性を指摘した[36]。ヴァハグンはフルリ-ウラルの神テシュブから龍殺しの属性を得たのかもしれない[37]。
ヴァハグンはヘレニズム時代にはヘーラークレースと同一視されていた[38]。5世紀のアルメニア語訳聖書では、2 Maccabees 4:19 でヴァハグンはヘーラークレースの訳語として使われており、ホレナツィーは『ヴァハグンの歌』はヘーラークレースを思わせる英雄的行為を語っていると述べている[39]。さらに稀に、ヴァハグンは太陽神アポロンと同一視されることもあった[40]。洗礼者ヨハネは、取り壊されたヴァハグン寺院の近くに彼に捧げられた教会が建てられたことから、「ヴァハグンの性格を受け継ぐキリスト教徒」とも呼ばれている[41]。
私的考察[編集]
アルメニア神話のヴァハグンはイラン神話のウルスラグナと言語的に同起源とのことである。ウルスラグナと同様、本来の意味は「火兎(兎炎)」と考える。ナルト叙事詩のバトラズ、インド神話のヴィシュヌとも類縁性のある神ではないだろうか。また、イラン神話のアタール、インド神話のアグニといった、印欧語族の古い「火の神」とも広く類縁性があると考える。この名前の群は、神であれば「火神」、半神半人であればヘーラークレースのような英雄、時にヘルメースのような「盗賊の守護神」、その延長としてオーディンやロキといった狡猾さにやや偏った「知恵の神」、悪神であるときはヴリトラのように干ばつを起こす神、といった特徴を備えているように思う。
参考文献[編集]
- Wikipedia:ヴァハグン(最終閲覧日:23-01-05)
- Wikipedia:Vahagn(最終閲覧日:23-01-05)
- Abegi͡an =Manuk, http://serials.flib.sci.am/Founders/Abexyan-ist.drevn.lit/book/content.html, Istorii͡a drevnearmi͡anskoĭ literatury, Izd.-vo Akedemii nauk Arm. SSR, 1948, Erevan, History of Old Armenian Literature, Manuk Abeghian
- Dumézil George, The Destiny of the Warrior, University of Chicago Press, 1970, Hiltebeitel, Alf, Georges Dumézil
- http://tert.nla.am/archive/NLA%20AMSAGIR/Aramazd/2011(1).pdf, Vyacheslav Ivanov(philologist), 2011, A Probable Structure of a Protoform of the Ancient Armenian Song of Vahagn, Aramazd: Armenian Journal of Near Eastern Studies, volume6, pages7–23, issn:1829-1376
- 1985, Vahagn, Soviet Armenian Encyclopedia, Yerevan, https://hy.wikisource.org/wiki/%D4%B7%D5%BB:%D5%80%D5%A1%D5%B5%D5%AF%D5%A1%D5%AF%D5%A1%D5%B6_%D5%8D%D5%B8%D5%BE%D5%A5%D5%BF%D5%A1%D5%AF%D5%A1%D5%B6_%D5%80%D5%A1%D5%B6%D6%80%D5%A1%D5%A3%D5%AB%D5%BF%D5%A1%D6%80%D5%A1%D5%B6_(Soviet_Armenian_Encyclopedia)_11.djvu/242, Katvalyan M., Hambardzumyan Viktor, volume11, pages242
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- The Indo‑european and Ancient Near Eastern Sources of the Armenian Epic, https://www.academia.edu/3656244, Armen Petrosyan, Washington, D.C.: Institute for the Study of Man, 2002, isbn:9780941694810
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- Encyclopædia Iranica, volume2, fascicle4, article:ARMENIA AND IRAN iii. Armenian Religion, 1986, J. R. Russell, pages438–434, https://iranicaonline.org/articles/armenia-iii
参考文献2[編集]
- A History of Armenia (Armenian Mythology) by Vahan M. Kurkjian. Published by the Armenian General Benevolent Union of America 1958/YR.
関連項目[編集]
参照[編集]
- ↑ Petrosyan, 2007, p6
- ↑ Petrosyan, 2002, p\36
- ↑ Katvalyan, 1985
- ↑ Russell, 1987, p192
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- ↑ Petrosyan, 2018, p207
- ↑ Petrosyan, 2007, p6
- ↑ A History of Armenia (Armenian Mythology) by Vahan M. Kurkjian. Published by the Armenian General Benevolent Union of America 1958/YR.
- ↑ Petrosyan, 2007, p6
- ↑ Ivanov, 2011, p8
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- ↑ Petrosyan, 2018, p206
- ↑ Thomson, 1978, p123
- ↑ Ivanov, 2011, p8
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- ↑ Petrosyan, 2007, =6