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1,123 バイト追加 、 2022年12月18日 (日) 18:54
「末娘」は父親が「薔薇の花を折った」ため、その償いとして「野獣の住処(庭園)」に行くこととなるが、そこは彼女の「庭園」ではないので、その行為そのものが「天国へ行く」ということの暗喩である。すなわち、末娘は父親が殺した野獣の再生のために[[人身御供]]となって殺された、といえる。彼女が妻となることを承知しないうちは野獣は再生することができない。しかし、彼女が承知するとその命と引き換えに野獣は生まれ変わり、人間として再生され、結果として若い夫婦は庭園(天国)で「永遠の幸せ」を手に入れることになる。彼らは「庭園の女神(仙女)」の能力で、冥界と人界との境界を乗り越えて人間世界に降臨し、新たな植物の育成者、あるいは人間や神の先祖となったかもしれないが、それは明確には語られない。神話の段階ではそのようなエピソードがあったと思われるが、民間伝承では彼らの「祖神」としての性質は失われ、彼らの「個」としての幸福のみが語られる。しかも、それはハーデースとペルセポネーの幸福に似て「冥界での幸福」のようにも思われる。物語りのこのような点は「天国での永遠の幸福」を謳うキリスト教の影響で改変されているかもしれない、と思う。
 ヨーロッパにおける「5月祭」では、若い「メイクイーン(5月の女王)」が立てられ、冬の象徴である植物神を倒した後、子供達の模擬結婚により若い神々の結婚と太陽の再生が祝われるものがある。ここで倒される「植物神」は冬の象徴でもあるし、「美女と野獣」での「野獣」に相当する。(植物神が何故「冬の象徴」とされるのかは別に理由があるように思う。)彼は「冬の象徴」であるので夏を到来させるために、倒されねばならないのだが、倒された後はその息子達(植物の種)は新たな「再生の女神」と婚姻して、発芽し育てられなければならないのである。それが「子供達の模擬結婚」として表されているように思う。メイクイーンは老いた「母女神」が「野獣の死」と引き換えに若返った姿ともいえる。「美女と野獣」は5月祭の思想に沿った物語ともいえ、 ヨーロッパにおける「5月祭」では、若い「メイクイーン(5月の女王)」が立てられ、冬の象徴である植物神を倒した後、子供達の模擬結婚により若い神々の結婚と太陽の再生が祝われるものがある。ここで倒される「植物神」は冬の象徴でもあるし、「美女と野獣」での「野獣」に相当する。(植物神が何故「冬の象徴」とされるのかは別に理由があるように思う。特にヨーロッパではこの植物神は秋に植える麦と関連するかもしれないと思う。)彼は「冬の象徴」であるので夏を到来させるために、倒されねばならないのだが、倒された後はその息子達(植物の種)は新たな「再生の女神」と婚姻して、発芽し育てられなければならないのである。それが「子供達の模擬結婚」として表されているように思う。メイクイーンは老いた「母女神」が「野獣の死」と引き換えに若返った姿ともいえる。「美女と野獣」は5月祭の思想に沿った物語ともいえ、
* 母女神の能力による野獣(冬の象徴の植物神)の死と、それによる母女神の再生(若返り)。母女神による野獣から発生した新たな種(次の世代の植物神)の再生・生育の暗示。それを補助するエスス的神の活動。
という2つの要素が組み合わされた物語といえる。
それ以外に、妹に意地悪して(一応)罰せられる姉がいる、という「罰を受ける女神」の要素も小エピソードとしてつけ加えられている。それ以外に、妹に意地悪して(一応)罰せられる姉がいる、という「罰を受ける女神」の要素も小エピソードとしてつけ加えられている。グノーシス神話では[[プシューケー]]が[[エロース]]に自らの血を注いで「最初の[[薔薇|バラ]]」を生じさせた、とするものがあるようである([[エロース]]参照のこと)。野獣の化身である[[薔薇]]の発生あるいは再生には、花嫁としての若い女性の[[生贄]]が必要である、と広く考えられていた可能性がある。これらの一連の祭祀は、元は[[マイア]]に相当する「太母」的な女神が取り仕切ることとされていたと考えるが、グノーシス神話の段階では、「太母」と「[[人身御供|生贄]]」の役割の混在が見られ「太母」的な女神の地位の低下が窺える。また、グノーシス神話は、女性が自ら犠牲になることを賛美するもので、自己犠牲を求める危険な思想により近づいているように感じる。
 物語中に登場する「仙女」は、本来[[西王母型女神|西王母型]]の格の高い女神であって、ガリアの女神としては[[マイア]]が一番適当である、と考えるが、古代のヨーロッパは熊信仰が広く行われていたので「熊の母」とされていた女神であればどの女神でも対応し得る、と考える。野獣は息子神の「熊神」そのものである。「末娘」はが一番適当である、と考える。薔薇は[[マイア]]に関連する花ともされている。ただし、古代のヨーロッパは熊信仰が広く行われていたので「熊の母」とされていた女神であればどの女神でも対応し得る、ともいえよう。野獣は息子神の「熊神」そのものである。「末娘」は[[マイア]]から完全に独立した女神として確立していれば、[[スメルトリオス]]の妻神である[[アンカンマ]]のような河川の女神が考え得る。こちらも候補は複数挙げられるであろう。独立した女神として存在していなければ、[[マイア]]自身と考えられていた可能性もある。[[マイア]]は[[マイア]]で、「野獣の死」により若返る女神である、といえる。そもそも[[マイア]]の遠い起源は語源的には[[女媧]]と考える。近い起源としてはエジプト神話のヌトやネイトのような女神が考えられるのではないだろうか。ただし
*「冬という野獣の死」により母女神も若いメイクイーンとして再生される。(メイクイーンが種と若い妻神達との婚姻を取りしきる。)
という点は「太陽の再生」と連動しており、[[マイア]]が本来は「太陽女神」であったことが示唆される。ただし、ヨーロッパではスキタイなどの例を見るに、慣例的にこれを「太陽女神」とはせず「火」や「竈」の女神として現すことが多いように思う。5月祭でも人々が火の上を飛び越えて健康などを祈る(火の女神に清めてもらう、という意味か。)ということが行われるようである。が本来は「太陽女神」であったことが示唆される。ただ、ヨーロッパではスキタイなどの例を見るに、慣例的にこれを「太陽女神」とはせず「火」や「竈」の女神として現すことが多いように思う。5月祭でも人々が火の上を飛び越えて健康などを祈る(火の女神に清めてもらう、という意味か。)ということが行われるようである。
 ウィッカーマンと呼ばれる人形を生贄と共に焼くのは、まさに太陽女神を若返らせるためのための儀式といえよう。これを行うから人々は若い「メイクイーン」を得ることができるのである。ただし、このような要素は「美女と野獣」からは省かれている。この点もキリスト教の影響といえようか。(キリスト教はキリスト教で焼き殺すことはキリスト教の専売特許である、とでも言いたげな面がある。)
== 関連項目 ==
* [[プシューケー|クピードーとプシューケー]]
** [[エロース]]
* [[小栗判官]](キリスト型)
* [[天稚彦草子]](炎帝型)

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