「八咫烏」を編集中
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=== 中国の「三足烏」 === | === 中国の「三足烏」 === | ||
− | + | [[中国神話]]では[[三足烏]]は太陽に棲むといわれる<ref name=BD307/>。[[陰陽五行説]]に基づき、二は陰で、三が陽であり、二本足より三本足の方が太陽を象徴するのに適しているとも、また、朝日、昼の光、夕日を表す足であるともいわれる<ref name="nagomi" />。 | |
− | + | 中国では[[前漢]]時代(紀元前3世紀)から[[三足烏]]が書物に登場し、王の墓からの出土品にも描かれている。三脚の特色を持つ[[三脚巴]]やその派生の三つ巴は非常に広範に見られる意匠である。 | |
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
− | 上述のように[[三足烏]] | + | 上述のように[[三足烏]]の伝承は古代中国の文化圏地域で見られる。中国であるならば金烏。朝鮮半島ならば、かつて[[高句麗]](紀元前1世紀~6世紀)があった地域(現在の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]])で古墳に描かれている。[[高句麗]]の人々は[[三足烏]]が太陽に棲み、亀が月に棲むと信じていた。一方、朝鮮半島南部(現在の[[大韓民国|韓国]])にまでは広がっていなかったという説がある<ref name="nagomi" />。 |
日本神話の「東征」において、八咫烏は瀬戸内海から近畿に進もうとした神武天皇の道案内を務めたとされる<ref name="nagomi" />。神武天皇は、当初、西から大阪に攻め入って敗れたため、太陽神である[[天照大御神|天照大神]]の子孫である自分たちは西から東へ日に向かうのではなく、東から西へ日を背にして攻め入るべきだと考えた<ref name="nagomi" />。そこで八咫烏の案内により、紀伊半島を大きく迂回して現在の新宮付近から攻め入ることにし、その後、吉野を経て橿原に行き大和朝廷を開いた<ref name="nagomi" />。 | 日本神話の「東征」において、八咫烏は瀬戸内海から近畿に進もうとした神武天皇の道案内を務めたとされる<ref name="nagomi" />。神武天皇は、当初、西から大阪に攻め入って敗れたため、太陽神である[[天照大御神|天照大神]]の子孫である自分たちは西から東へ日に向かうのではなく、東から西へ日を背にして攻め入るべきだと考えた<ref name="nagomi" />。そこで八咫烏の案内により、紀伊半島を大きく迂回して現在の新宮付近から攻め入ることにし、その後、吉野を経て橿原に行き大和朝廷を開いた<ref name="nagomi" />。 |