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イナンナは少なくともウルク文化(前4000年頃-前3100年頃)の時代にはシュメールで崇拝されていたが、アッカドのサルゴンによる征服以前はほとんど信仰されていなかった。サルゴン王の時代以降、イナンナはシュメールの神殿の中で最も広く崇拝される神となり[4][5]、メソポタミア各地に神殿を持つようになった<ref>Wolkstein, Kramer, 1983, pagexviii</ref><ref>Nemet-Nejat, 1998, page182</ref>。イナンナ/イシュタルの信仰は、様々な性儀礼と結びついていたと思われるが、この地域のシュメール人を継承・吸収した東セム語系の人々(アッカド人、アッシリア人、バビロニア人)にも受け継がれた。イナンナは特にアッシリアの人々に愛され、アッシリアの国神アシュールよりも上位に位置する神殿の最高神とされた。イナンナはヘブライ語の聖書に登場し、ウガリット語のアシュタルトやフェニキア語のアスタルテに大きな影響を与え、さらにギリシャ神話の女神アフロディーテの誕生にも影響を与えたとされる。イナンナへの信仰はその後も栄え、紀元1世紀から6世紀にかけて、キリスト教の影響により徐々に衰退していった。
イナンナはシュメールの他のどの神よりも多くの神話に登場する<ref>Wolkstein, Kramer, 1983, pagexv</ref><ref>Penglase, 1994, pages42–43</ref><ref>Kramer, 1961, page101</ref>。また、ネルガルに匹敵するほど多くの称号や 別名を有していた<ref>Wiggermann, 1999, p216</ref>。神話の多くは、彼女が他の神の領域を引き継ぐというものである。

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