嫦娥の物語と、日本の伝承との比較を行ってみたい。日本は稲作の国であり、稲作の起源は当然長江下流域にあるので、稲作に関する神話も、そのまま伝播している可能性があるからである。
竹取説話について。今昔物語集 巻第31、第33「竹取の翁女児を見付けて養ふ語」1.'''竹取説話'''について。今昔物語集 巻第31、第33「竹取の翁女児を見付けて養ふ語」
「竹取物語」の類話である。「竹取物語」が本話の直接の出典ではない、というのが現在の通説とのこと。
本来の「竹取説話」は、天から降りてきた「小さ子」的な女神に親切にしてくれる翁夫妻に対する報恩譚に、女主人公が直接求婚者達に難題を出す「難題婿」の要素と、不満な女神の失踪譚の要素を組み込んだ物語だろうと思われる。求婚は不満の原因だったかもしれないが、失踪(天への帰還)の原因とまでいえるかどうかは定かではない。
2.'''奈具神社由来譚'''について。丹後国風土記によると「ここに来りてわが心奈具志久(なぐしく)なれり」とあり、奈具神社の由来はこの奈具志久(おだやかに)という言葉による。
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昔、丹波の郡比治の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比治の里にとどまり、万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。しかし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、 汝は吾が子ではないと追い出してしまいました。
天の原ふりさけみれば霞立ち 家路まどいて行方しらずも
と詠い、比治の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の奈具の村にやってきました。 そして「此処にして我が心なぐしく成りぬ」(わたしの心は安らかになりました)と云って、この村を安住の地としました。 此処で終焉を迎えた天女は村人たちによって、豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)として祀られました。 これが竹野郡の奈具の社です。(境内案内板「|延喜式内奈具神社の祭神について」より)
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== 扶桑と養蚕 ==