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ドイツ南西部の、バーデン=ヴュルテンベルク州・ツンツィンゲンでは、12歳くらいの少女が、五月の女王的存在の、'''天の花嫁'''(ウッツフェルト ブリュットリ)に扮して、'''案内役の女の子2人'''と、7、8人の少女をしたがえている。お伴の最後尾の少女はかごを下げ、天の花嫁の訪れを村の家々に告げ、かごに乳製品や、卵、果物などを受け取る。天の花嫁は、感謝を表すと同時に、その家を祝福する。一方で「冬」を表す少年たちが、黒い服を着て、'''体中に縄を巻き'''、別の地区を歩いて、少女たちと同様に口上を述べて贈り物を受け取る<ref group="私注">「縄を巻かれている少年たち」は、縄で制御されている「天の獣」を模していると考える。</ref>。しかるのちに、示し合わせておいた場所で、天の花嫁(夏)と少年(冬)との決着が始まる。「冬」の持つ[[ブナ]]の木の枝を、花嫁が3本折り取ると、天の花嫁の勝ちとなる。子供たちは、昼食に一旦家に戻った後、午後はまた家々を回る<ref name="ab">植田重雄『ヨーロッパの神と祭り―光と闇の習俗』pp.355-364、早稲田大学出版部、1995年。</ref>。
[[北欧神話|ゲルマン神話]]によれば、天の女神'''[[フレイヤ|フレイア]](フライア)と、天空の神[[オーディン]](ヴォーダン)の二柱の神の結婚が五月であり、この世界の繁殖をつかさどると信じられて来た。ツンツィンゲンの近くのアウッゲンでは、少女がドレスを着て花束を持ち、少年は山高帽に[[モーニングコート|モーニング]]という結婚式の服装で、お伴と一緒に家々を回り、夏の訪れを告げる。この姿は、ヴォーダンとフライアの地上への訪問を意味する。かつては、2人の少女が白い衣装をつけ、春の[[女神]]に扮して行進した(ヴォーダン)の二柱の神の結婚が五月'''であり、この世界の繁殖をつかさどると信じられて来た。ツンツィンゲンの近くのアウッゲンでは、少女がドレスを着て花束を持ち、少年は山高帽にモーニングという結婚式の服装で、お伴と一緒に家々を回り、夏の訪れを告げる。この姿は、ヴォーダンとフライアの地上への訪問を意味する。かつては、2人の少女が白い衣装をつけ、春の女神に扮して行進した<ref name="ab"/>。
[[フランス]]の[[アルザス]](エルザス)地方でも「五月のフランスのアルザス(エルザス)地方でも「五月の[[バラ]]」(マイレースレ)と呼ばれる女性が中心となって、同じような行事が行われる。5月はキリスト教の[[聖母マリア|マリア]]の月であるが、フライア女神もまた、春の象徴とされた。五月女王は元々は五月の女神マヤに由来したが、マヤの像を祝うことが[[異教]]的だとして禁じられたため、未婚の女性を主役に置くようになった。この日は、メイポール(字義通りには「五月の柱」)を森から切り出して飾り、その下を人々が踊りまわる。病気や」(マイレースレ)と呼ばれる女性が中心となって、同じような行事が行われる。5月はキリスト教のマリアの月であるが、フライア女神もまた、春の象徴とされた。五月女王は元々は五月の女神マヤ<ref group="私注">[[悪霊マイア]]を逃れるために、生命と春の象徴である樹木を立てたのがそもそもの起こりで、のことか?</ref>に由来したが、マヤの像を祝うことが異教的だとして禁じられたため、未婚の女性を主役に置くようになった。この日は、メイポール(字義通りには「五月の柱」)を森から切り出して飾り、その下を人々が踊りまわる。病気や悪霊を逃れるために、生命と春の象徴である樹木を立てたのがそもそもの起こりで、[[モミ]]や[[白樺]]が主に用いられる<ref name="ab"/><ref>谷口幸男・遠藤紀勝『図説 ヨーロッパの祭り』p.80、河出書房新社、1998年。</ref>。
ドイツでは昇天祭や聖霊降臨日にこの行事をする地域もある<ref name="ab"/>。

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