'''ヨーロッパの五月祭'''(ヨーロッパのごがつさい)とは、古代ローマの祭に由来する祭。[[5月1日]]に、豊穣の女神(ヨーロッパのごがつさい)とは、古代ローマの祭に由来する祭。5月1日に、豊穣の女神[[マイア]]を祭り供物が捧げられた。[[夏]]の豊穣を予祝する祭りと考えられている。現在では、[[ヨーロッパ]]各地で、[[キリスト教]]伝来以前にさかのぼる起源をもつ、[[春]]の訪れを祝う日として定着している。[[英語]]ではthe を祭り供物が捧げられた。夏の豊穣を予祝する祭りと考えられている。現在では、ヨーロッパ各地で、キリスト教伝来以前にさかのぼる起源をもつ、春の訪れを祝う日として定着している。英語ではthe May Festival、May dayなどと呼ぶ<ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/je2/25559/m0u/%E4%BA%94%E6%9C%88%E7%A5%AD/ goo辞書]</ref>。
== 概要 ==
かつて、ヨーロッパ各地では、[[精霊]]によって農作物が育つと考えられており、その精霊は、かつて、ヨーロッパ各地では、精霊によって農作物が育つと考えられており、その精霊は、[[フローラ]]のように[[女神]]やのように女神や[[ニュンペー]]、女王や乙女のかたちで表現されていた。春、地域によっては夏といった、生育・繁殖の季節を迎える季節の祭りで、乙女たちや男女の[[結婚]]は象徴的なものとされ、それが五月女王(メイクィーン)や、子どもたちによる疑似的な[[結婚式]]へとつながっていった、女王や乙女のかたちで表現されていた。春、地域によっては夏といった、生育・繁殖の季節を迎える季節の祭りで、乙女たちや男女の結婚は象徴的なものとされ、それが五月女王(メイクィーン)や、子どもたちによる疑似的な結婚式へとつながっていった<ref>[[谷口幸男]]・遠藤紀勝『図説 谷口幸男・遠藤紀勝『図説 ヨーロッパの祭り』pp.74-75、[[河出書房新社]]、1998年。75、河出書房新社、1998年。</ref>。
また、この日の前夜は[[ヴァルプルギスの夜]]と呼ばれ、[[魔女]]たちが[[サバト (魔女)|サバト]]を行うと言われている。[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の『[[真夏の夜の夢]]』はこの時期が舞台とする説もある<ref>芳賀日出男『ヨーロッパ古層の異人たち』pp.17-20、[[東京書籍]]、2003年。</ref>。
===ドイツ===
[[ファイル:Oftersheim Zunftbaum mit Maibaum.JPG|thumb|right|ドイツのメイポール]]
[[ドイツ]]南西部の、[[バーデン=ヴュルテンベルク州|バーデン=ヴュルテンベルク州]]・ツンツィンゲンでは、12歳くらいの少女が、五月の女王的存在の、天の花嫁(ウッツフェルト ブリュットリ)に扮して、案内役の女の子2人と、7、8人の少女をしたがえている。お伴の最後尾の少女はかごを下げ、天の花嫁の訪れを村の家々に告げ、かごに[[乳製品]]や、卵、[[果物]]などを受け取る。天の花嫁は、感謝を表すと同時に、その家を祝福する。一方で「[[冬]]」を表す少年たちが、黒い服を着て、体中に縄を巻き、別の地区を歩いて、少女たちと同様に口上を述べて贈り物を受け取る。しかるのちに、示し合わせておいた場所で、天の花嫁(夏)と少年(冬)との決着が始まる。「冬」の持つ[[ブナ]]の木の枝を、花嫁が3本折り取ると、天の花嫁の勝ちとなる。子供たちは、昼食に一旦家に戻った後、午後はまた家々を回る<ref name="ab">[[植田重雄]]『ヨーロッパの神と祭り―光と闇の習俗』pp.355-364、[[早稲田大学出版部]]、1995年。</ref>。
[[フランス]]の[[アルザス]](エルザス)地方でも「五月の[[バラ]]」(マイレースレ)と呼ばれる女性が中心となって、同じような行事が行われる。5月はキリスト教の[[聖母マリア|マリア]]の月であるが、フライア女神もまた、春の象徴とされた。五月女王は元々は五月の女神マヤに由来したが、マヤの像を祝うことが[[異教]]的だとして禁じられたため、未婚の女性を主役に置くようになった。この日は、メイポール(字義通りには「五月の柱」)を森から切り出して飾り、その下を人々が踊りまわる。病気や[[悪霊]]を逃れるために、生命と春の象徴である樹木を立てたのがそもそもの起こりで、[[モミ]]や[[白樺]]が主に用いられる<ref name="ab"/><ref>谷口幸男・遠藤紀勝『図説 ヨーロッパの祭り』p.80、河出書房新社、1998年。</ref>。
ドイツでは[[昇天祭]]や[[聖霊降臨日]]にこの行事をする地域もあるドイツでは昇天祭や聖霊降臨日にこの行事をする地域もある<ref name="ab"/>。
===イギリス===
[[ファイル:VM_0242_Sale_Primary_School_-_Maypole_dance.jpg|right|thumb|200px|イギリスのメイポールダンス]]
[[ファイル:Cotswold_Morris_handkerchiefs_20040501.jpg|thumb|right|250px|モリス・ダンス]]
[[イギリス]]では、この日は野山で摘んできた[[サンザシ]]を飾る。また、朝[[露]]で顔を洗うと美しくなるともいわれて来た。古代からこの日は祭日であり、のちの、[[労働者]]の[[祝日]]である[[メーデー]]もそれに由来している。この日はモリス・ダンスが行われる。男性のみ6 - 8人のグループが、黒の[[シルクハット]]に[[造花]]、白シャツと白ズボンを身につけ、緑のベルトを胸と背に交差させて踊る。脚にはたくさんの鈴がついたベルトをつけ、白いハンカチ大の布を持つ。[[ムーア人]]起源といわれてきたが、賛否両論がある。ただ、[[テューダー朝]]期の文献に、この踊りに関する記述が見える<ref name="Haga">[[芳賀日出男]]『ヨーロッパ古層の異人たち』pp.182-189、東京書籍、2003年。</ref>。
かつては、復活祭や聖霊降臨日にも行われていて、グループが門付けをして踊り、その[[祝儀]]を教会の[[基金]]に加えたりもした。また、[[弓試合]]や野外劇の出し物でもあった。しかし後に[[安息日]]を汚すとして[[ピューリタン]]の反撃にあい、五月女王共々衰退したが、[[1899年]]に、[[セシル・シャープ]]が、[[コッツウォルズ]]に残っていたモリス・ダンス ([[:en:Morris dance|en]]) を目にして、調査と指導を開始した。1909年、モリス・ダンスは学校教育に、[[民俗舞踊]]として取り入れられるにいたった<ref name="Haga"/>。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[メーデー (曖昧さ回避)]]
* [[レイ (ハワイ)|レイ祭]]
== 参照 ==
{{Normdaten}}