古代中国の戦国時代(紀元前475~221年)には、「河伯が妻を娶る」と称して、毎年、若い娘を川に流して人身御供とする習慣があった。
== 羿が射たものは何だったのか ==
羿の神話は「射日神話」として有名である。特に東アジアでは、烏が太陽と関連付けられて、重要な鳥神あるいは霊鳥としての地位にあることは、朝鮮、日本の三足烏を見ても明らかである。しかし、河姆渡文化のレリーフを見れば明らかなように、2羽の鳥は太陽を支えてはいても、太陽そのものではない。日本神話でも、八咫烏は賀茂氏の祖神である鴨建角身命と同じもの、と言われているが、八咫烏が太陽神である天照大神と同じものである、とは言われていない。他にも、エジプト、メソポタミア、イラン・インドの神話を見ても、神話的な木に住まう鳥が太陽そのものである、という逸話はほとんどない。ということは、本来、「太陽信仰に関わる鳥」は'''「太陽そのものではなかった」'''のではないだろうか。河姆渡文化のレリーフもそのように見える。
では、羿が射落として、その結果天帝の怒りを買った、といわれる「太陽」とはいったい何だったのだろうか。
== 嫦娥信仰の歴史的変遷 ==