日と月が描かれる際、日に烏、月に兎(または蟾蜍)が描き込まれることは中国を中心に古くから行われており、壁画や祭具、幡(はた)などに残されている。日本でも鎌倉・室町時代に仏教絵画として描かれた『十二天像』<ref>『特別展 密教美術』神奈川県立金沢文庫 1991年 81、93頁</ref>では[[日天]]・[[月天]]の持物としての日・月の中に烏と兎が描き込まれている作例がみられるなど、美術作品で太陽を示す題材として広く用いられている。江戸時代まで、天皇即位の際に用いられていた[[冕冠]](べんかん)や[[袞衣]](こんえ)、日像幢にも用いられている。「金烏」という名称が用いられているが、描かれるカラスのすがたは通常のカラスのように黒く描かれ、背後に描かれる太陽あるいはそれを示す円が朱や金で彩色されることがほとんどである<ref>松平乘昌 『図説 宮中 柳営の秘宝』 河出書房新社 2006年 ISBN2:4-309-76081-3 8-15頁</ref>。
日本神話では、[[神武天皇]]を案内したと記述されている[[八咫烏]](やたがらす)に「[[天照大神]]がつかわした」という点から金烏と共通する「太陽とカラス」の結びつきが見られ、[[平安時代]]以後にそのすがたが金烏のような三本足のすがたとして説明されるようになっている。がつかわした」という点から金烏と共通する「太陽とカラス」の結びつきが見られ、平安時代以後にそのすがたが金烏のような三本足のすがたとして説明されるようになっている。
=== 漢字 ===
俗説的な解釈として、「日」という漢字の真ん中の1画は、日輪のなかにある黒烏(金烏)を示しているものである<ref>『[[続群書類従]]』第31輯下「麒麟抄増補」 『続群書類従』第31輯下「麒麟抄増補」 続群書類従完成会 1926年 211頁</ref>と語られることがあった。
== 黒点 ==
天文学者・[[山本一清]]は、古代中国において語られていた「太陽にカラスがいる」という説は太陽に見えた黒点のことを「黒いもの」であることから「烏」と表現したものであろうと示している天文学者・山本一清は、古代中国において語られていた「太陽にカラスがいる」という説は太陽に見えた黒点のことを「黒いもの」であることから「烏」と表現したものであろうと示している<ref name="kodai" /><ref name="china" /><ref>[[山本一清]] 『天文と人生』 警醒社書店 1922年 155-159頁</ref>。このように、金烏を太陽の黒点の象徴(実際に太陽にそのような大きなカラスがいるわけではない)とする説は、[[近世]]から語られており、大雑書(庶民向けに出版された暦占を中心とした実用百科事典)などに書かれた日月についての説においても「日の中に三足の烏実に有(ある)にあらず大陽の火にして中くろく烏(からす)の形の如く黒気有のみなり」(『永暦雑書天文大成』、1809年)などのように、古くからの金烏・玉兎の説を書きつつ、そこに輸入書を通じて広まった西洋的観察に基づいた説を採り込んだ紹介がとられるようになったものが見られる。。このように、金烏を太陽の黒点の象徴(実際に太陽にそのような大きなカラスがいるわけではない)とする説は、近世から語られており、大雑書(庶民向けに出版された暦占を中心とした実用百科事典)などに書かれた日月についての説においても「日の中に三足の烏実に有(ある)にあらず大陽の火にして中くろく烏(からす)の形の如く黒気有のみなり」(『永暦雑書天文大成』、1809年)などのように、古くからの金烏・玉兎の説を書きつつ、そこに輸入書を通じて広まった西洋的観察に基づいた説を採り込んだ紹介がとられるようになったものが見られる。
== 鳥と太陽 ==