日本では'''八咫烏'''(ヤタガラス)と呼ばれ、古事記の神武東征において神武天皇を導く役割をしている。
八咫烏は『古事記』や『日本書紀』に登場するが、『日本書紀』では、同じ神武東征の場面で、金鵄(金色のトビ)が長髄彦との戦いで神武天皇を助けたともされており、天日鷲神の別名である天加奈止美命(あめのかなとみ)の名称が金鵄(かなとび)に通じることから、天日鷲神、鴨建角身命と同一視される<ref>宝賀寿男「神武天皇、実在の可能性」『「神武天皇」伝承の真実を検証する⑦』、2017年。</ref>。また賀茂氏の系図において鴨建角身命の別名を'''八咫烏鴨武角身命'''としている<ref>宝賀寿男『古代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道』青垣出版、2018年。</ref>。
=== 太陽と王権 ===
殷(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)の王位継承について、後年の亀甲獣骨文字の解読から、基本は非世襲で、必ずしも実子相続が行われていたわけではなかったことが判明した。殷は氏族共同体の連合体であり、殷王室は少なくとも二つ以上の王族(氏族)からなっていたと現在では考えられている。
仮説によると、殷王室は10の王族(「甲」〜「癸」は氏族名と解釈)からなり、不規則ではあるが、原則として「甲」「乙」「丙」「丁」(「丙」は早い時期に消滅)の4つの氏族の間で、定期的に王を交替していたとする。それ以外の「戊」「己」「庚」「辛」「壬」「癸」の6つの氏族の中から、臨時の中継ぎの王を出したり、王妃を娶っていたと推測される。
上記と関連して、'''殷の王族は太陽の末裔'''と当時考えられており、山海経の伝える10個の太陽の神話(十日神話)は、殷王朝の10の王族(氏族)の王位交替制度を表し、羿(ゲイ)により9個の太陽が射落される(射日神話)のは、一つの氏族に権力が集中し強大化したことを反映したものとする解釈もある。'''少なくとも紀元前17世紀には太陽信仰と王権が一体化していた'''ことが分かる。
== 羿と太陽 ==