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同様の伝説はメキシコの民話にも見られる。メキシコでも月の模様は兎と考えられていた。アステカの伝説では、地上で人間として生きていた[[ケツァルコアトル]]神が旅に出て、長い間歩いたために飢えと疲れに襲われた。周囲に食物も水もなかったため、死にそうになっていた。そのとき近くで草を食べていた兎がケツァルコアトルを救うために自分自身を食物として差しだした。ケツァルコアトルは兎の高貴な贈り物に感じ、兎を月に上げた後、地上に降ろし、「お前はただの兎にすぎないが、光の中にお前の姿があるので誰でもいつでもそれを見てお前のことを思いだすだろう」と言った。一般にケツァルコアトルは金星神であると考えられているが、この民話の場合は徐々に光を失っていく太陽神であると考えられる。'''太陽神と金星神は置換可能'''なのである<ref group="私注">インドとアステカに類似した伝承がある、ということは、双方に人々が枝分かれしたよりも前に伝承が発生していたことが分かる。</ref>。
別の[[メソアメリカ]]の伝説では、第5の太陽の創造において別のメソアメリカの伝説では、第5の太陽の創造において[[ナナワツィン]]神が勇敢にも自分自身を火の中に投じて新しい太陽になった。しかし[[テクシステカトル]]の方は火の中に身を投じるまで4回ためらい、5回めにようやく自らを犠牲にして月になった。テクシステカトルが臆病であったため、神々は月が太陽より暗くなければならないと考え、神々のひとりが月に兎を投げつけて光を減らした。あるいは、テクシステカトル自身が兎の姿で自らを犠牲にして月になり、その姿が投影されているともいう。
[[アメリカ州の先住民族|ネイティブ・アメリカン]]のネイティブ・アメリカンの[[クリー]]はまた別の、月に昇りたいと思った若い兎の伝説を伝える。鶴だけが兎を運ぶことができたが、重い兎が鶴につかまっていたために鶴の脚は今見るように長く伸びてしまった。月に到着したときに兎が鶴の頭に血のついた脚で触ったため、鶴の頭には赤い模様が残ってしまった。この伝説によれば、晴れた夜には月の中に兎が乗っているのが今も見えるという。はまた別の、月に昇りたいと思った若い兎の伝説を伝える。'''鶴'''だけが兎を運ぶことができたが、重い兎が鶴につかまっていたために鶴の脚は今見るように長く伸びてしまった。月に到着したときに兎が鶴の頭に血のついた脚で触ったため、鶴の頭には赤い模様が残ってしまった。この伝説によれば、晴れた夜には月の中に兎が乗っているのが今も見えるという。
=== 創作物 ===
上記のような月に兎が住んでいるという伝承や説話の影響から、日本の文芸・演芸・絵画・音楽などの創作物には、月の生活者として兎を用いた作品が多く見られる。
[[唱歌]]「兎の餅舂」(うさぎ 唱歌「兎の餅舂」(うさぎ の もちつき)(『幼年唱歌』 [[1912年]])では、餅つきをしている月の世界の兎たちが登場して、大福餅をつくっている様子を描いている。1912年)では、餅つきをしている月の世界の兎たちが登場して、大福餅をつくっている様子を描いている。
==ヒキガエル==
兎のほか、古代中国では月には{{読み仮名|蟾蜍|せんじょ|兎のほか、古代中国では月には蟾蜍(せんじょ, [[ヒキガエル]]のこと}}が棲んでいるとされていたのこと)が棲んでいるとされていた<ref>[[淮南子]]の{{読み仮名|月中蟾蜍|げっちゅうせんじょ}}。淮南子の月中蟾蜍(げっちゅうせんじょ)。[[嫦娥|嫦娥伝説]]も参照。</ref>。[[前漢]]の[[馬王堆漢墓]]から出土した帛画のように、中国で製作された模様の中には月にいるものとして兎とヒキガエルを同じ画面内に収めて登場させているものも見られる。前漢の馬王堆漢墓から出土した帛画のように、中で製作された模様の中には月にいるものとして兎とヒキガエルを同じ画面内に収めて登場させているものも見られる<ref name="玉兎" />。
== 月の模様について ==

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