ミャンマーの仏教絵画の中にも日のなかには[[クジャク|孔雀]]、月のなかは兎が描かれており、[[須弥山]]を中心とした世界観を示した仏教絵画などを通じて各地で描かれていたこともうかがえる<ref>岩田慶治 監修『アジアのコスモス+マンダラ』 講談社, 1982年 34-35頁 ISBN 4-06-200285-X</ref>。タイでも月には兎が住んでいるという伝承があり、絵画などにも見られる。同国チャンタブリー県の県章(図参考)に見られる兎も、月の兎をデザインに配したものである。
[[アメリカ合衆国アメリカ合衆国でもこの伝承は知られ、人類史上初の月面着陸をする前にアポロ11号の宇宙飛行士とNASA]]でもこの伝承は知られ、人類史上初の[[月面着陸]]をする前に[[アポロ11号]]の[[宇宙飛行士]]と[[NASA]]の管制官が月の兎に言及した記録が残っている管制官が月の兎に言及した記録が残っている<ref>Woods, W. David; MacTaggart, Kenneth D.; O'Brien, Frank. "Day 5: Preparations for Landing". The Apollo 11 Flight Journal. National Aeronautics and Space Administration. Retrieved 9 October 2017</ref>。
=== 仏教説話 ===
月になぜ兎がいるのかを語る伝説には[[インド]]に伝わる『[[ジャータカ]]』などの[[仏教]]説話に見られ、日本に渡来し『[[今昔物語集]]』などにも収録され多く語られている。その内容は以下のようなものである。月になぜ兎がいるのかを語る伝説にはインドに伝わる『ジャータカ』などの仏教説話に見られ、日本に渡来し『今昔物語集』などにも収録され多く語られている。その内容は以下のようなものである。
<blockquote>[[猿]]、[[狐]]、[[兎]]の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、[[帝釈天]]としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。</blockquote>
<!--伝承によっては「3匹の動物は悪人が獣に転生した姿で、前世の罪滅ぼしのために善行に努めており、帝釈天は敢えて動物たちの行いを試そうとしていた」とも言われ、また老人は帝釈天ではなく仙人だった、3匹の動物の内の1匹は熊ではなく猿だった、動物は[[カワウソ|川獺]]を加えた4匹だった、兎は後に[[釈迦]]に転生した、などのバリエーションもある。※要出典を加えた4匹だった、兎は後に釈迦に転生した、などのバリエーションもある。※要出典-->
この説話の登場人物たちは、天体を示し、それぞれは「[[月]]」(猿)・「星(この説話の登場人物たちは、天体を示し、それぞれは「月」(猿)・「星([[シリウス]])」(狐)・「[[金星]]」(兎)・「[[太陽]]」(老人=帝釈天)であり、老人は光が弱々しくなった冬至前の太陽、帝釈天は光を取り戻した(=若返った)冬至後の太陽である、という解釈もなされている。
=== アメリカ先住民の民話 ===
同様の伝説は[[メキシコ]]の民話にも見られる。メキシコでも月の模様は兎と考えられていた。[[アステカ]]の伝説では、地上で人間として生きていた同様の伝説はメキシコの民話にも見られる。メキシコでも月の模様は兎と考えられていた。アステカの伝説では、地上で人間として生きていた[[ケツァルコアトル]]神が旅に出て、長い間歩いたために飢えと疲れに襲われた。周囲に食物も水もなかったため、死にそうになっていた。そのとき近くで草を食べていた兎がケツァルコアトルを救うために自分自身を食物として差しだした。ケツァルコアトルは兎の高貴な贈り物に感じ、兎を月に上げた後、地上に降ろし、「お前はただの兎にすぎないが、光の中にお前の姿があるので誰でもいつでもそれを見てお前のことを思いだすだろう」と言った。一般にケツァルコアトルは金星神であると考えられているが、この民話の場合は徐々に光を失っていく太陽神であると考えられる。太陽神と金星神は置換可能なのである。神が旅に出て、長い間歩いたために飢えと疲れに襲われた。周囲に食物も水もなかったため、死にそうになっていた。そのとき近くで草を食べていた兎がケツァルコアトルを救うために自分自身を食物として差しだした。ケツァルコアトルは兎の高貴な贈り物に感じ、兎を月に上げた後、地上に降ろし、「お前はただの兎にすぎないが、光の中にお前の姿があるので誰でもいつでもそれを見てお前のことを思いだすだろう」と言った。一般にケツァルコアトルは金星神であると考えられているが、この民話の場合は徐々に光を失っていく太陽神であると考えられる。'''太陽神と金星神は置換可能'''なのである<ref group="私注">インドとアステカに類似した伝承がある、ということは、双方に人々が枝分かれしたよりも前に伝承が発生していたことが分かる。</ref>。
別の[[メソアメリカ]]の伝説では、第5の太陽の創造において[[ナナワツィン]]神が勇敢にも自分自身を火の中に投じて新しい太陽になった。しかし[[テクシステカトル]]の方は火の中に身を投じるまで4回ためらい、5回めにようやく自らを犠牲にして月になった。テクシステカトルが臆病であったため、神々は月が太陽より暗くなければならないと考え、神々のひとりが月に兎を投げつけて光を減らした。あるいは、テクシステカトル自身が兎の姿で自らを犠牲にして月になり、その姿が投影されているともいう。