15,197 バイト追加
、 2022年11月21日 (月) 07:55
'''テウタテス''' ('''Teutates''') は、ケルト人に信奉されていた神に用いられた名前である(後述)。ルカヌスの『内乱』やラクタンティウスの『神的教理』で名前が言及されており、またカエサルが『ガリア戦記』内で言及したガリアの神の中の一柱だとされる。テウタテスに献じられた石碑なども多く発見されており、その広い信仰を示している。言語学や考古学による研究からテウタテスは部族の神であり、また戦争の神でもあったとされる。
[[画像:Reims - musée Saint-Remi (28).JPG|サムネイル|320px|テウタテス(右)と[[ロスメルタ]](左)]]
[[画像:Yorkshire Museum, York (Eboracum) (7685561806).jpg|サムネイル|320px|イギリスのエボラクム(現在の[[ヨーク (イングランド)|ヨーク]])で発掘されたテウタテスの指輪]]
==概要==
ケルト神話には汎ケルト的に広く信仰されていた神もあったが一方でケルト内の部族ごとの神も存在した。
例えば、アルウェルヌス(Arvernus)はその名からアルウェルニ族固有の神であった事が容易く想像できる。こうした神は過去の族長が神格化された、一種の祖先崇拝の対象と考えられる<ref>アルウェルヌスの別名であるアルウェルノリクスは「アルウェルニ族の王」を意味する。ピゴットはガリア人の「王(rix)」について「その多くは『取るに足らない侵略集団の族長で、互いの領地を荒らし回り、隷属民を食い物にするだけの存在だった』」としている(ピゴット, 2000, page92)。</ref>。
テウタテスは「民族の神」を意味する。意味から推測するとテウタテスという名はアルウェルヌスのような部族の神のうち特定の一柱を指す呼び名であったのかもしれない。しかしテウタテスと呼ばれる神への信仰を示す証拠は非常に広範囲に分布しており<ref>「テウタテスは文献からはガリアで,ラテン語碑文からは英国,ドナウ川沿岸,さらにはローマまで,[[グンデストルップの大釜|グンデストルップの鉢]]からはこの文化遺品の原産地と思われる黒海沿岸でもおそらく,知られていたことが分かる.」{{harv|デュヴァル|2001}}</ref><ref>『[[アルスター伝説|アルスター神話群]]』に登場する「我が部族が忠誠を誓う神」がテウタテスに相当する神だとする指摘もあり{{harv|デュヴァル|2001}}、そうだとするとアイルランドにおいてもテウタテスの信仰は広まっていた可能性がある。</ref>、こうした解釈は実状にそぐわない。テウタテスとは元々は神の名ではなく、単に「民族の神」という普通名詞、あるいは部族の神に用いる尊称であったと複数の学者が推測している<ref>「名前は『部族』を意味するテウタ(teuta,touta,tota)に由来し、『部族の神』という普通名詞かもしれない。」{{harv|鶴岡|1999|page=88}}<br>
「部族を意味するケルト語の派生語のテウター、その名は『部族の神』を実際に意味したのだと。」「テウターテスは、のちにだんだん推移していったにしても、元は固有名というよりも説明のための用語だったのである。」{{harv|マッカーナ|1991|pages=38,57}}<br>
「これは『部族の神』という意味で、おそらく一つの神の名称というよりも、多くの異なる神の尊称だったのだろう。」{{harv|ジェームズ|2000|page=151}}<br>
「その名は『部族』を意味するteuta,touta,totaに由来する.おそらく『部族の(神)』という普通名詞だろう.」{{harv|デュヴァル|2001|page=666}}</ref>。こうした説に倣えばテウタテスについての記述は、テウタテスその物ではなく、テウタテスと呼ばれた別々の部族の神に対してのものであったと考えられる{{sfn|コットレル|1999|page=263}}。
==ローマ的解釈==
ガリア人の信仰について、カエサルは以下のように説明している。
{{Cquote|神々の中ではメルクリウスを最も崇拝する。その像も一番数が多く、種々なわざを工夫したものと信じ、旅行者を導くもの、富の獲得や商売に大きな力を持つものと思っている。これに次ぐのはアポローやマルスやイゥピテルやミネルウァである。それについては他の人々と同じような考え方をしている。アポローは病気をはらい、ミネルウァは仕事やわざの手ほどきをし、イゥピテルは大空を支配し、マルスは戦争をつかさどる。戦争しようとする時にはその戦争の獲物をこの神に捧げる。勝てば捕まえた動物を犠牲にし、他の獲物を一箇所に集める。これらの物を積み重ねた山が多くの部族では神聖な場所に見られる。|20px|空引数|カエサル|ガリア戦記{{sfn|カエサル|1968|page=200}}}}
カエサルの説明を言葉通りに受け取れば、ガリア人はローマ人と同様に「メルクリウス」や「アポロー」といった神々を信仰していたように見えるが、これは正しくない。カエサルはガリア人の神を指して、それに近い性質をもつローマの神の名前を使用する事でローマ人への説明を行っている。こうしたローマ人による他の民族の神の捉え方を{{仮リンク|ローマ的解釈|de|Interpretatio Romana}}と呼ぶ。カエサルが挙げた神の中で「マルス」がテウタテスを指すものと考えられており{{sfn|鶴岡|1999|pages=88-89}}<ref>「各種碑文を証拠に考えるのならマルスと同じ神とするのが正しい.」「だとしたら、テウタテスはマルスと同じ神である可能性が強くなろう.」{{harv|デュヴァル|2001}}</ref>、そうだとすれば続く戦の神に捧げた儀式についての記述もテウタテスへのそれを説明した物という事になる。
テウタテスとマルスとの対応は固定的なものではなく、ローマによるガリア平定後に作られた石碑の碑文にはテウタテスは[[マールス|マルス]]<ref>{{RIB|219}} '''''Marti Toutati''' Ti(berius) Claudius Primus Attii liber(tus) v(otum) s(olvit) l(ibens) m(erito)''<br>{{RIB|1017}} ''I(ovi) O(ptimo) M(aximo) et Riocalat(i) '''[To]utat(i) M-[ar(ti)]''' Cocid(i)o [vo]to feci-[t] Vita-[lis]''</ref>だけでなく[[メルクリウス]]<ref>{{CIL|13|6122}} ''Mercur(io) / IOTOUVI[1]E / [3]OEIRNV / OAIRONIS ''; <br>{{AE|1927|70}} ''Merc[urio] / Tou[teno] / temp[lum] / cum [signo] / et orn[amentis] / Virili[s pos(uit)] / v(otum) s(olvit) [l(ibens) l(aetus) m(erito)].''</ref>とも同一視された事が示されている。後述する『コメンタ・ベルネンシア』においても、テウタテスはマルスともメルクリウスとも同一視されている<ref>ガリアにおいてマルスとメルクリウスは性質の近い存在であったと考えられている{{harv|マッカーナ|1991|page=36}}。{{仮リンク|イオウォントゥカルス|en|Iovantucarus}}もマルスとメルクリウスの両方に同一視されている。またヘニッグはアレイで信仰されていた名前の失われたケルトの戦の神が、(戦の神であるマルスではなく)メルクリウスと同一視されていた事を示している{{harv|ギリー|2014|page=18}}。</ref>。またトウティオリクス(Toutiorix)をテウタテスの異形であると見なすのであれば<ref>マイヤーは 『ケルト辞典』においてテウタテスとトウティオリクスで別項を立てている{{harv|マイヤー|2001|pages=154,157}}。</ref>、[[アポローン|アポロ]]とも同一視された事になる<ref>{{CIL|13|7564|R=}} ''In h(onorem) d(omus) d(ivinae) / '''Apollini Tou/tiorigi''' / L(ucius) Marinius / Marinia/nus |(centurio) leg(ionis) VII / Gem(inae) <nowiki>[[Alexan]]</nowiki>/[[d[r]ianae]] vo/ti compos''</ref>。しかしテウタテスはメルクリウスやアポロよりもマルスとの同一視を示す証拠が多い。
==人身御供の儀式==
[[ルカヌス]]は『内乱』においてテウタテスを{{仮リンク|エスス|en|Esus}}や{{仮リンク|タラニス|en|Taranis}}と共に人身御供を要求するガリアの神の一つとして挙げている。
{{Cquote|酷烈のテウタテス神がおぞましい(人身御供の)血で、また恐るべきエスス神が野蛮な祭壇で鎮められ、[[スキュティア]]の[[ディアーナ|ディアナ]]に劣らず過酷なタラニス神の祭壇が祀られる地の部族も然り。また、汝ら、歌人として、戦に斃れた雄々しい英霊を末永く未来に歌い伝える者たち、バルディ<ref name="druid">バルディはバード、ドルイダエは[[ドルイド]]。バードやドルイドへの言及があるのは彼らがテウタテスらへ捧げる人身御供の儀式に関わっていた、あるいは少なくともルカヌスはそう考えていた事を示す。</ref>よ、汝らも心安らかに数多の歌謡を歌った。また、ドルイダエ{{R|druid}}、汝らも、武器を置き、蛮族の習いの、聖なる儀式へと戻っていった。|20px|空引数|ルカヌス|内乱{{sfn|ルカヌス|2012}}}}
『内乱』その物にはこれ以上の記述はないが、四世紀から九世紀の間に書かれた『内乱』に対する[[古注]]を一つに集積した『{{仮リンク|コメンタ・ベルネンシア|en|Commenta Bernensia}}』はこの人身御供に関する儀式により詳細に触れている。これによれば(メルクリウスと同一視された)テウタテスへは、水を満たした釜に人間を逆さに突っ込んで溺死させるという方法で生贄を捧げたとある。
[[画像:Gundestrupkarret3.jpg|サムネイル|200px|[[グンデストルップの大釜]]のプレートの一つ]]
[[グンデストルップの大釜]]には『コメンタ・ベルネンシア』が示した、釜を使った溺死による生贄の儀式を示したとも解釈できるプレートがある。歩兵と騎兵が行進しているためプレートが描いているのは戦いの儀式であると思われる。プレートの左端には神と解釈できる巨人<ref>「押さえつける方は,その身長から見て,戦争の神自身に違いない.」{{harv|デュヴァル|2001|page=628}}</ref>が大釜の上に人をぶら下げている。このプレートが描いているのがケルトの戦いの儀式であり、巨人をテウタテスであると解釈するのであれば、テウタテスが戦いの神の性質を持つことを示す一つの根拠になる。ただしグンデストルップの大釜には様々な解釈が成立し定説がない。歩兵が儀式を行う神へと行進し、騎兵はその逆に行進していることに注目するのであれば、これは生贄ではなく、戦争の前に騎兵に施した儀式とも考えられる。そもそもケルト由来の物ではないとする説もある。
==関連項目==
*[[ミディール]] 「<!--碑文の綴りに合わせてトータティスという表記にしています。-->トータティス・{{仮リンク|メドゥリス|de|Meduris}}」へと献じられた碑文が発見されている<ref>{{CIL|6|31182}} ''Petiganus / Placidus / '''Toutati / Medurini''' / votum sol/vet(!) anni/versarium''</ref>。これをマイヤーはテウタテスとメドゥリスの同一視と解釈している{{sfn|マイヤー|2001|page=154}}。ミディールはアイルランドのケルト神話の神であり、メドゥリスと対応すると考えられている。
*{{仮リンク|Tuathal Techtmar|en|Túathal Techtmar}} {{仮リンク|百戦のコン|en|Conn of the Hundred Battles}}の祖父にあたるアイルランドの伝説上の上王(アード・リー)。彼の名"Tuathal"はテウタテスの古形"teuto-valos"に由来するのではないかと推測されている。
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|2}}
==出典==
*{{Cite book|和書
| last = カエサル
| translator = [[近山金次]]
| title = ガリア戦記
| publisher = [[岩波書店]]
| date = 1968
| ref = harv }}
*{{Cite book|和書
| last = ギリー | first = シェリダン
| coauthor = ウィリアム・J・シールズ
| title = イギリス宗教史 前ローマ時代から現代まで
| date = 2014
| isbn = 978-4-588-37122-6
| publisher = [[法政大学出版局]]
| ref = harv }}
*{{Cite book|和書
| last = コットレル | first = アーサー
| translator = [[松村一男]] [[蔵持不三也]] 米原まり子
| title = ビジュアル版 世界の神話百科 ギリシア・ローマ ケルト 北欧
| publisher = [[原書房]]
| date = 1999
| isbn = 4-562-03249-9
| ref = harv }}
*{{Cite book|和書
| last = ジェームズ | first = サイモン
| translator = [[井村君江]] 吉岡晶子 渡辺充子
| title = 図説ケルト
| date = 2000
| publisher = [[東京書籍]]
| isbn = 4-487-79411-0
| ref = harv }}
*{{cite|和書
| last = 鶴岡 | first = 真弓 | author1-link = 鶴岡真弓
| coauthor = [[松村一男]]
| title = 図説 ケルトの歴史
| date = 1999
| publisher = [[河出書房]]
| isbn = 4-309-72614-3
| ref = harv }}
*{{cite encyclopedia
| language = ja
| year = 2001
| encyclopedia = 世界神話大事典
| publisher = [[大修館書店]]
| last = デュヴァル | first = ポール=マリー | authorlink = :de:Paul-Marie Duval
| editor = イヴ・ボンヌフォワ
| editorlink = イヴ・ボヌフォワ
| isbn = 4-469-01265-3
| ref = harv }}
*{{Cite book|和書
| last = ピゴット | first = スチュワート | authorlink = :en:Stuart Piggott
| translator = [[鶴岡真弓]]
| title = ケルトの賢者 「ドルイド」
| publisher = [[講談社]]
| date =2000
| isbn = 4-06-209416-9
| ref = harv }}
*{{Cite book|和書
| last = マイヤー | first = ベルンハルト | authorlink = :de:Bernhard Maier (Religionswissenschaftler)
| translator = [[鶴岡真弓]] 平島直一郎
| title = ケルト辞典
| publisher = [[創元社]]
| date = 2001
| isbn = 4-422-23004-2
| ref = harv }}
*{{Cite book|和書
| last = マッカーナ | first = プロインシァス | authorlink = :it:Proinsias MacCana
| translator = [[松田幸雄]]
| title = ケルト神話
| publisher = [[青土社]]
| date =1991
| isbn = 4-7917-5137-X
| ref = harv }}
*{{cite|和書
| author = ルカヌス
| translator =
| title = 内乱 : パルサリア
| volume = 上
| date = 2012
| publisher = [[岩波書店]]
| isbn = 978-4-00-321261-5
| ref = harv }}
{{デフォルトソート:てうたてす}}
[[カテゴリ:ガリア神話]]
[[カテゴリ:ケルト神話]]
[[カテゴリ:軍神]]