== 読み方 ==
[[諸橋轍次]] 『[[大漢和辞典]]』(大修館書店、1956年)に拠れば、[[歴史的仮名遣い]]は 『大漢和辞典』(大修館書店、1956年)に拠れば、歴史的仮名遣いは 「てんわうだいてい」 となる。発音は[[連声]]により となる。発音は連声により 「テンノーダイテー」。なお同書の日本の 「天皇」 の読みは 「てんくわう」・「てんわう」 のみ。「てんわう」 での立項が標準である。
星座名としては、通例 「てんこうたいてい」 と振って 「テンコータイテー」 と読む<ref>大崎正次 (1987) 173頁。</ref>。ただし、鈴木駿太郎は振り仮名を振っていないが、索引では 「天乳」(てんにゅう)と 「天馬座」(てんまざ)の間に配置しているところから 「てんのう……」 と読んでいる<ref>鈴木駿太郎 『星の事典』 恒星社厚生閣、1968年、320頁</ref>
== 私幣禁断に類似する禁令 ==
私幣禁断とは、一般には皇室の[[祖霊]]を祀る伊勢神宮を天皇・[[皇后]]・[[皇太子]]以外が祀ることを禁じたことを言う。これに似た内容の禁令が以下のように出されている。私幣禁断とは、一般には皇室の祖霊を祀る伊勢神宮を天皇・皇后・皇太子以外が祀ることを禁じたことを言う。これに似た内容の禁令が以下のように出されている。
*[[796年]]、[[天皇]]は796年、天皇は[[北斗七星]]を祀ることを禁じた。罰則として 「法師は名を綱所に送り、俗人は違勅の罪に処せ」 と規定した(『[[類聚国史]]』 と規定した(『類聚国史』 「延暦十五年」)。*[[799年]]、[[斎宮]]が伊勢神宮へ行くに際して 799年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「京畿の百姓」 に 「北辰<ref>日本においては、少なくとも[[江戸時代]]以降、北辰は北極星(こぐま座α星)と同一視されていた。しかしこの頃は北極(これは星座のことを指している)の天樞(てんすう、きりん座 日本においては、少なくとも江戸時代以降、北辰は北極星(こぐま座α星)と同一視されていた。しかしこの頃は北極(これは星座のことを指している)の天樞(てんすう、きりん座 [http://simbad.u-strasbg.fr/simbad/sim-id?protocol=html&Ident=HD112028 HD112028])が最も天の北極に近い時期であった。中国本土ではともかく、日本において5等星にすぎない天樞を北極星と見ていたとは考えにくい。これは以下の私幣禁断の事例にも言えることである。</ref>に灯火を奉る」 ことを禁じた(『[[日本後紀]]』 ことを禁じた(『日本後紀』 「延暦十八年九月」)。
*[[811年]]、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「北辰を祭り、挙哀改葬等の事」 を禁じた(『[[日本後紀]]』 「弘仁二年九月一日」)。
*[[835年]]、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「京畿」 での 「北辰に火を供えること」 を禁じた(『[[続日本後紀]]』 「承和二年八月二日」)。
*[[北辰]]
*[[妙見菩薩]]
*[[紫微中台伏羲]]:北斗七星の象徴
== 参照 ==