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なお、カワラバト(ドバト)は、1500年程前に日本に渡来した外来種であるとともに、5000年以上前より世界各地で家禽化され広まった飼養品種であるため、学術的には日本ネイティブな在来種ではない<ref group="注">広義にカワラバトの飼養品種がドバト、狭義に飼養品種が再野生化した個体をドバトとする説があるが、ドバトの名称は既に江戸時代から見られることより、フン問題などが社会問題化した1970年代以降の新説と言える。一般的にはカワラバトとドバトの間には明確な線引きはない。これは、既に数千年にわたり家禽化され続けているカワラバトに対して純粋な野生種としてのカワラバトを見極めきれないためである。従って、学術名としてはカワラバト、呼称としてはドバトという事になろう。</ref>。このため、現在でも野鳥とみなされないことがある。また、ジュズカケバトについては、広義にはシラコバトのうち飼養品種となったものとされるため、上記リストからは省かれている。ジュズカケバトの白色変種である[[ギンバト|銀鳩]](観賞用に飼われたりマジックの小道具として使われたりする小型のハト)も同様である。
 
== 飼育史 ==
ハトはおおよそ10000年から6000年ほど前の新石器時代に飼育動物化されたと考えられている。ハトは人里に近い土地で営巣する動物であり、洞窟や崖、そして泥や石で造られた初期人間の住居に巣を作っていた。中東において当時栽培が始まったコムギやオオムギなどもハトの食料として好適であった。こうしてハトと人間の距離が縮まったのち、ハトの飼育化が始まった。当初は神経質な成鳥に比べて人に慣れやすく飼いやすいハトの雛を成長させる目的で飼育が始まり、やがて家禽化していったと考えられている<ref>三輪睿太郎監訳『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 主要食物:栽培作物と飼養動物』(朝倉書店、2004年9月10日、第2版第1刷)645-646頁</ref>。
 
紀元前2900年頃にシュメールのシュルッパクにて起こった大洪水はシュメルの洪水神話として後世に残され、『ギルガメシュ叙事詩』や旧約聖書の[[ノアの方舟]]の話の原型となった。『ギルガメシュ叙事詩』において既に陸地を探すためにハトを放した話が記載されており、この頃にはハトが飼育されていた証拠とも考えられている。イラクのアルパチャにおいて紀元前4500年頃のハトのテラコッタの像が出土しており、ハトが宗教上重要視されていたことを物語っている。古代エジプトにおいてもハトは飼育されていた。やがてハトの飼育は地中海世界へと広がり、古代ギリシャの各都市やエトルリア人にも広まった。ローマ帝国においてはハトは宗教上重要な意味を持つ一方、肥育されて食用としても盛んに用いられた<ref>F.E.ゾイナー『家畜の歴史』(国分直一・木村伸義訳、1983年、法政大学出版局)p.528</ref>。
==生物として==
<sup>''(要検証範囲、食性は雑食性である(木の実やミミズを食べる)、2013年9月)。''</sup>一般的に熱帯種では一腹一卵、温帯種では一腹二卵を産み、14~21日の抱卵の後で孵化する。鳩の雛が孵化から巣立ちするまでの期間は25~40日だが、鳩ミルク(ピジョンミルク)と呼ばれる親鳥のソノウから分泌される高蛋白なミルクで育てられる。雛は親鳥の口に嘴を差し入れてミルクを摂取する。ピジョンミルクには炭水化物は殆ど含まれておらず、主成分は主に蛋白質である。栄養価は高く、ヒトのアスリート向けプロテインに近い成分組成である。ただし、ピジョンミルクには雛の成長につれて、半消化状態の柔らかい餌が徐々に混ざることがわかっている。巣から落ちた鳩のひなを人工飼育するには、植物性のプロテインや練り餌(釣具屋で売っている鮒・鯉釣り用の練り餌が安価で簡便である)をぬるま湯で粥状に溶き、手のひらに握りこんで指のすき間から与えるのが簡単な飼育法である。
 
== 飼育史 ==
ハトはおおよそ10000年から6000年ほど前の[[新石器時代]]に飼育動物化されたと考えられている。ハトは人里に近い土地で営巣する動物であり、[[洞窟]]や[[崖]]、そして泥や石で造られた初期人間の住居に[[巣]]を作っていた。[[中東]]において当時栽培が始まった[[コムギ]]や[[オオムギ]]などもハトの食料として好適であった。こうしてハトと人間の距離が縮まったのち、ハトの飼育化が始まった。当初は神経質な成鳥に比べて人に慣れやすく飼いやすいハトの雛を成長させる目的で飼育が始まり、やがて[[家禽]]化していったと考えられている<ref>三輪睿太郎監訳『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 主要食物:栽培作物と飼養動物』([[朝倉書店]]、2004年9月10日、第2版第1刷)645-646頁</ref>。
 
[[紀元前2900年]]頃に[[シュメール]]の[[シュルッパク]]にて起こった[[大洪水#シュメール|大洪水]]はシュメルの洪水神話として後世に残され、『[[ギルガメシュ叙事詩]]』や[[旧約聖書]]の[[ノアの方舟]]の話の原型となった。『ギルガメシュ叙事詩』において既に陸地を探すためにハトを放した話が記載されており、この頃にはハトが飼育されていた証拠とも考えられている。[[イラク]]のアルパチャにおいて[[紀元前4500年]]頃のハトの[[テラコッタ]]の像が出土しており、ハトが宗教上重要視されていたことを物語っている。[[古代エジプト]]においてもハトは飼育されていた。やがてハトの飼育は[[地中海世界]]へと広がり、[[古代ギリシャ]]の各都市や[[エトルリア人]]にも広まった。[[ローマ帝国]]においてはハトは宗教上重要な意味を持つ一方、肥育されて食用としても盛んに用いられた<ref>F.E.ゾイナー『家畜の歴史』(国分直一・木村伸義訳、1983年、[[法政大学出版局]])p.528</ref>。
== 人との関係 ==
[[File:Rock Pigeon Columba livia 3264px.jpg|right|thumb|200px|カワラバト(ドバト)]]
=== 伝書鳩 ===
ハトはまた、通信用の[[伝書鳩]]としても古代から盛んに使用された。カワラバトから長年にわたって改良された伝書鳩は、戦中の軍事用、戦前・戦後には[[報道]]用や[[通信]]用に大いに活用された。太陽コンパスと[[体内時計]]、[[地磁気]]などにより[[方位|方角]]を知る能力に優れているとされ、[[帰巣本能]]があるため、遠隔地まで連れて行ったハトに[[手紙]]などを持たせて放つことによって、情報をいち早く伝えようとしたのである。戦時には古くから軍が導入し、軍用鳩が本格的に研究され、[[第二次世界大戦]]においては主に伝令用の他、小型カメラを装着させた敵地[[偵察]]用のスパイ鳩として活躍した。[[薬品]]や[[血清]]等の[[医薬品]]、動物(主に牛)の精子の輸送にも使われ僻地医療で重要な役目を果たした。

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