日本には早太郎のように羿のトーテムと考えられる伝承があるのだから、中国にも類似した伝承があるのではないだろうか。これがこの項の出発点である。中国神話には[[盤瓠]]という霊犬が敵を倒し、王女を妻とした、という逸話がある。「敵を倒す」という点は羿にも[[黄帝]]にも通じる。また「王女を妻とする」点はギリシア神話の[[テーセウス]]に似る。日本の[[猿神退治]]でも、助けた娘と結婚するという物語がある。よって、ギリシア神話を併せて考えれば、羿は[[黄帝]]でもあり、[[盤瓠]]もある、となる。そして日本の伝承の早太郎が[[盤瓠]]に相当する「犬」なのである。
それにしても、中国神話では何故、羿の物語の「黒耳」が、インド神話の[[炎帝神農|炎帝ケートゥ]]とに相当して、「暗黒で普段は見ることはできない」ものだとすると、[[黄帝ラーフ]]が「兄弟」であるとしてしまっていたり、羿の分身とも言える彼の飼い犬が「黒耳」というに相当するものは何なのか、ということになる。中国の[[蚩尤天狗(中国)]]を変化させたものに置き換わっているのだろうか。羿神話、ギリシア神話のも本来は彗星や流星を指す言葉であった。インド神話の[[テーセウスケートゥ]]、日本のには彗星としての性質もあったようである。もしかしたら、古代の人々のイメージとしては、彗星や流星は規則的に現れるものではないので、姿が見えている時は「明るく輝くもの」なのだが、それ以外の時は「暗くて見えないもの」であって、天空を不規則にさまよっているもの、と考えていたのかもしれないと思う。姿が見えていない時に存在していないのではなくて、人知れず存在して日や月を襲う隙を窺っているのである。とすれば、「見えてない」ときの姿が[[猿神退治ケートゥ]]を比較してみると、容易に一つの事実に気がつく。中国神話には「で、「見えている」ときの姿が[[人身御供ラーフ]]」と関連した要素がほとんど含まれないのである。[[黄帝]]は[[炎帝神農|炎帝]]をその失策により戦って失脚させた、という内容が史記に書かれているが、具体的な失策の内容は書かれていない。羿は[[炎帝神農|炎帝]]に相当すると思われる「複数の太陽」を、その無秩序な天空への登場を止めるために射落としたが、太陽が[[人身御供]]を求めたゆえ、に射落としたとはされていない。 中国の歴史・文化を見ると、揚子江の川の神は[[炎帝神農|炎帝]]型、すなわち牛型であり、黄河の川の神は龍蛇型である、ということだが、どちらも治水のために[[人身御供]]を求める神である。その点で両者に違いがあるようには思われない。でも良いのではないだろうか。この2つはスイッチが切り替わるように入れ替わるもの、と考えられていたのかもしれない、と創造する。
== 参考文献 ==