それにしても、中国神話では何故、[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]が「兄弟」であるとしてしまっていたり、羿の分身とも言える彼の飼い犬が「黒耳」という[[蚩尤]]を変化させたものに置き換わっているのだろうか。羿神話、ギリシア神話の[[テーセウス]]、日本の[[猿神退治]]を比較してみると、容易に一つの事実に気がつく。中国神話には「[[人身御供]]」と関連した要素がほとんど含まれないのである。[[黄帝]]は[[炎帝神農|炎帝]]をその失策により戦って失脚させた、という内容が史記に書かれているが、具体的な失策の内容は書かれていない。羿は[[炎帝神農|炎帝]]に相当すると思われる「複数の太陽」を、その無秩序な天空への登場を止めるために射落としたが、太陽が[[人身御供]]を求めたゆえ、に射落としたとはされていない。
中国の歴史・文化を見ると、揚子江の川の神は[[炎帝神農|炎帝]]型、すなわち牛型であり、黄河の川の神は龍蛇型である、ということだが、どちらも治水のために[[人身御供]]を求める神である。その点で両者に違いがあるようには思われない。
== 参考文献 ==