月が黒い犬に飲み込まれたことを知った[[玉皇大帝]]と王母娘娘([[西王母]])は、天兵に命じて犬を捕らえさせた。黒い犬が捕まった時、王母娘娘([[西王母]])は后羿の猟犬と認め、南天の門を守る天狗にした。黒耳は役目を得ると、月と[[嫦娥]]を吐き出し、それ以来、月に住むようになった。
== 私的解説 私的解説・羿とギリシア神話 ==
そもそもなぜ管理人は羿と黄帝が同一人物である、と考えているのか、である。
というのが管理人の出発点である。管理人は、若かりし頃に今昔物語とギリシア神話とグリム童話から伝承学の世界に入ったので、中国の神話はつい最近まで知らなかったし、今でもそれほど詳しくは知らない。管理人の神話学の知識の根本にあるのは、神話といえばギリシアか日本、なので。羿の話を読んで、その夫婦生活の最後が別離であるから、これは「テーセウスとアリアドネー」、羿が王になったから「これはテーセウス」、黄帝も牛形の敵(炎帝)を倒して王になったから「これもテーセウス」、だから'''ギリシア神話との比較を介せば、羿と黄帝は同じものである'''。という単純なところが、中国神話を理解するにあたっての管理人の出発点である。ギリシア人を含む印欧語族の先祖の一端ではないか、と目されるスキタイの人々は古代においてはシベリアすなわちモンゴルの北西に住んでおり、中国東北部で生じた文化の影響を受ける機会は、古代においては多いにあったと思われる。だから中国神話とギリシア神話を始めとする印欧語族の神話は類似性があり、起源が同じであっても全く不思議ではないと思う。また、中国の南部は古代よりガンジス川流域と交流があり、互いに文化的影響を与え合う存在であって、インド方面とは先住民とも、侵略者といえる印欧語族とも文化的な交通性があったと思われる。日本の神話と中国の神話の類似性なんて言わずもがなである。そもそも漢字だって中国の言葉なんだし、古代において日本の文明は全て中国からやってきたもの、と言っても過言ではない。日本の月にも兎が住むし、桂の木が生えているのである。ということで、日本の神話と中国神話とギリシア神話は、3点で比較研究でき得るものなのである。まずは、そこが大事である。
== 私的解説・羿と日本の猿神退治 ==日本の伝承で[[人身御供]]に関する物に「[[猿神退治]]」がある。『今昔物語集』巻26「美作國神依猟師謀止生贄語」のように、生贄を求める猿神(実は神と言うよりは猿の化物)が猟師と犬の組み合わせに倒される、というのがその粗筋で、猿神を倒すのは「猟師と犬」の組み合わせの場合、猟師のみの場合、犬のみの場合がある。猿神を倒して、人身御供になるはずだった娘と結婚する場合も多い。倒し方は生贄の身代わりになって猟師が人身御供の祭祀の場に入りこみ、猿神を捕らえるパターンが多い。羿の物語よりは、ギリシア神話のテーセウスの物語に非常に近い。」がある。『今昔物語集』巻26「美作國神依猟師謀止生贄語」のように、生贄を求める猿神(実は神と言うよりは猿の化物)が猟師と犬の組み合わせに倒される、というのがその粗筋で、猿神を倒すのは「猟師と犬」の組み合わせの場合、猟師のみの場合、犬のみの場合がある。猿神を倒して、人身御供になるはずだった娘と結婚する場合も多い。倒し方は生贄の身代わりになって猟師が人身御供の祭祀の場に入りこみ、猿神を捕らえるパターンが多い。羿の物語よりは、ギリシア神話の[[テーセウス]]の物語に非常に近い。 「猟師と犬」の組み合わせは羿の物語でも「羿が黒耳という犬を飼っていた」という形で登場する。この黒耳は中国の「[[天狗(中国)|天狗]]」へと変化していわゆる[[射日神話]]とか、[[人身御供]]に関する化け物退治から外れた独立した月に関する妖怪物語へと移行していく。犬は一番最初の「羿という英雄が太陽を射落とした」というシンプルな物語には登場していなかったが、日本の伝承にもギリシア神話にも「猟師(狩人)と犬」という組み合わせが出てくる。よって羿の「飼い犬」は羿の[[射日神話]]成立後、かなり早い時期に羿にまつわる存在として羿の[[射日神話]]に挿入され、それが各地に伝播したと考えられる。
== 参考文献 ==