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3 バイト追加 、 2022年10月24日 (月) 08:31
『結婚訓』には「テッサリアのヘゲトルの娘」とあり、『アルゴナウティカ』の古註でも「テッサリアの魔女」の記述に続けてアグラオニケが登場することから、アグラオニケはテッサリアの出身とされている。そしてこれらの記述から、アグラオニケは天文学の知識に通じ、朔望の周期を知り、月食が起きる日時を予測することができたと考えられ、しばしば歴史上最初の女性天文学者として引き合いに出される<ref group="注">「天文学者」として言及される最古の女性ではあるが、天文学に通じた女性はもっと古い時代から居たと考えられる。例えば[[サルゴン (アッカド王)|サルゴン]]の娘[[エンヘドゥアンナ]]は、神官で文学者という位置付けだが、バビロニアの高位の神官は、現在の天文学や数学の源流に近い存在であり、立場上天体の観測や暦の作成に関わっていたものと考えられる。</ref><ref name="howard98">Howard, Sethanne, 1998-06, 4,000 Years of Women in Science, Engineering and Other Altogether Creative Stuff , International Amateur-Professional Photoelectric Photometry Communication, volume72, pages1-25, bibcode=:1998IAPPP..72....1H </ref>。天文学の知識に基づいて、月食の予報をしていたのだとすると、おそらくその計算はアグラオニケの独創ではないと考えられ、アグラオニケは、月食の予報を可能としていたバビロニアの天文学者の知識がギリシアに伝わったセレウコス朝期以降の人物であり、その評判を記述したプルタルコスよりは前の時代の人物であることになる。
ただし、月食の予報と、月を引き下ろす魔術をそのまま結び付けてよいかどうかには、疑問もある。通常の皆既月食では、満月の明るさを大幅に減じ変色するが、月は依然とし[肉眼で容易にみえるからで、月を引き下ろしたと信じさせるには程遠い状況と考えられる。ただ、まれに目にはみえなくなる程暗くなる皆既月食も起こることがあり、モナシュ大学の西洋古典学者ビックネルはこの点に着目し、アグラオニケが予報した月食も同様のものだったと考え、プルタルコスやキケロ]文献から月が消える程の月食の見当を付けることで、アグラオニケの年代を紀元前2世紀から紀元前1世紀のどこかがもっともらしいとしている<ref group="注">皆既月食が非常に暗くなる原因としては、大規模な火山噴火による大気中の塵粒子の増加が知られ、例えば、1913年3月22日の月食と1913年9月15日の月食(September 1913 lunar eclipse)はカトマイ山の1912年の噴火、1963年12月30日の月食(December 1963 lunar eclipse)は同年のアグン山の噴火、1982年12月30日の月食(December 1982 lunar eclipse)は同年のエルチチョンの噴火の影響があったものと推測されている。しかし、グリーンランドで採取された氷床コアの分析から、アグラオニケの時代に世界規模の噴火が起きた証拠はみつかっていない。</ref><ref name="bicknell83">Bicknell, Peter, 1983-06, The witch Aglaonice and dark lunar eclipses in the second and first centuries BC, Journal of the British Astronomical Association, volume93 , issue4, pages160-163, bibcode:1983JBAA...93..160B</ref><ref name="le070828">https://www.nao.ac.jp/phenomena/20070828/color.html, 皆既月食中の月の色について, 2007年8月28日「皆既月食どんな色?」キャンペーン , 国立天文台, 2020-05-26</ref>
== テッサリアの魔女 ==

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