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== 概要 ==
[[File:Kumano Yatagarasu .jpeg|thumb|350px|熊野本宮大社の[[鳥居]]の横に掲げられた八咫烏の[[旗]]]]
八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の[[橿原市|橿原]]まで案内したとされており、導きの神として信仰されている八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている<ref name="crow">[http://www.hongutaisha.jp/%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F/ 八咫烏について](熊野本宮大社公式サイト)</ref>。また、[[太陽]]の化身ともされる'''太陽の化身ともされる'''<ref name="NI">[[戸部民夫]] 『日本神話 神々の壮麗なるドラマ』 新紀元社、200,208頁。</ref><ref group="私注">これは本来の[[新紀元社三足烏]]、200,208頁。の姿ではないのだが、中国神話の段階で「太陽の化身」のように作り替えられている。</ref>。
『古事記』では[[古事記]]』では[[タカミムスビ高御産巣日神|高木大神]]によって遣わされ、『[[日本書紀]]』ではによって遣わされ、『日本書紀』では[[天照大神]]によって遣わされたと伝わる。『古事記』では[[兄宇迦斯]]・[[弟宇迦斯]]兄弟に神武天皇への帰順を求めるために遣わされるが、兄に鳴鏑で追い返されたとされる。一方『日本書紀』では[[兄磯城]]・[[弟磯城]]兄弟にそれぞれ帰順を求め、兄には「聞天壓神至而吾爲慨憤時、奈何烏鳥若此惡鳴耶。」と言われ弓矢で追い返されてしまうが、弟はこれに恐れて「臣聞天壓神至、旦夕畏懼。善乎烏、汝鳴之若此者歟。」と言い、葉盤八枚に食べ物を盛って烏に献上した。それで烏は神武天皇のもとへ戻り、兄磯城に反抗の心がある旨を報告したと伝えているなど、両書の伝承に若干相違がある。兄弟にそれぞれ帰順を求め、兄には「聞天壓神至而吾爲慨憤時、奈何烏鳥若此惡鳴耶。」と言われ弓矢で追い返されてしまうが、弟はこれに恐れて「臣聞天壓神至、旦夕畏懼。善乎烏、汝鳴之若此者歟。」と言い、葉盤八枚に食べ物を盛って烏に献上した。それで烏は神武天皇のもとへ戻り、兄磯城に反抗の心がある旨を報告したと伝えているなど、両書の伝承に若干相違がある<ref group="私注">記紀神話で「兄」が八咫烏を追い返す場面は、[[天若日子]]の物語で雉女が射殺される場面と相関している。八咫烏が炎帝型神であることが示唆される。</ref>。
その後『日本書紀』においてはその功が労われ、頭八咫烏の子孫は葛野主殿縣主(かづののとのもりのあがたぬし)となり、[[剣根命|劒根]]はその後『日本書紀』においてはその功が労われ、頭八咫烏の子孫は葛野主殿縣主(かづののとのもりのあがたぬし)となり、劒根は'''[[葛城国造]]'''となっている。
なお、八咫烏は『古事記』や『日本書紀』に登場するが、『日本書紀』では、同じ神武東征の場面で、[[金鵄]](金色の[[トビ]])が(金色のトビ)が[[長髄彦]]との戦いで神武天皇を助けたともされており<ref name="NI" />、[[天日鷲神]]の別名である天加奈止美命(あめのかなとみ)の名称が金鵄(かなとび)に通じる{{要出典|date=2022年3月}}<sup>''(要出典, 2022年3月)''</sup>ことから、天日鷲神、[[鴨建角身命]]と同一視する説も存在する<ref>[[宝賀寿男]]「神武天皇、実在の可能性」『「神武天皇」伝承の真実を検証する⑦』、2017年。宝賀寿男「神武天皇、実在の可能性」『「神武天皇」伝承の真実を検証する⑦』、2017年。</ref>。また[[賀茂氏]]の系図において鴨建角身命の別名をの系図において[[鴨建角身命]]の別名を'''八咫烏鴨武角身命'''としているが、実際は神武天皇と同世代の関係から考えて、記紀に登場する八咫烏とは[[生玉兄日子命]]のこととされる<ref>宝賀寿男『古代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道』青垣出版、2018年。</ref><ref group="私注">神武天皇、[[鴨建角身命]]の双方とも実在性の薄い人物であって、「神話の登場人物」という域を出ない人々と考える。そのため、「実在したこと」を前提として世代や時代を考察することに意味はないと考える。彼らは神話上では何百年も生きている存在であって、それが不思議ではないからである。</ref>。
[[熊野三山]]においてカラスは[[ミサキ]]神(死霊が鎮められたもの。[[神使]])とされており、八咫烏は[[熊野権現|熊野大神]]([[スサノオ|素戔嗚尊]])に仕える存在として信仰されており<ref name="crow"/>、熊野のシンボルともされる<ref name="nagomi">[https://web.archive.org/web/20160611174332/https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/nagomi/web/nagomi03/specialfeature-p3/ 「幕末の風雲児も歌った「ヤタガラス」」(和歌山県総合情報誌「和-nagomi-」vol.3、和歌山県知事室広報課、2007年9月25日)]</ref>。[[近世]]以前によく[[起請文]]として使われていた熊野の[[熊野牛王符|牛玉宝印]](ごおうほういん)にはカラスが描かれている<ref name="NI" />。

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