== 解説 ==
上帝(昊天上帝、天帝とも)が古くから天の主催者として信奉されてきた。道教では「[[太元]]」を神格化した[[元始天尊]]、次に「[[道 (哲学)|道]]」を神格化した霊宝天尊([[太上道君]])、その後これらに「[[老子]]」を神格化した道徳天尊([[太上老君]])を加えた三柱(「上帝(昊天上帝、天帝とも)が古くから天の主催者として信奉されてきた。道教では「太元」を神格化した元始天尊、次に「道」を神格化した霊宝天尊(太上道君)、その後これらに「老子」を神格化した道徳天尊(太上老君)を加えた三柱(「'''[[三清]]'''」)が最高神とみなされていった<ref>[[#二階堂 2013|二階堂 2013]], p. 250.(三清)</ref>。
「玉皇」という名称は古くは[[六朝]]の道士・[[陶弘景]]の『真霊位業図』の中にみられるが、その地位はあまり高くはなかった。[[唐|唐代]]にはその名称が普及し、詩文の中で天帝の美称として玉皇や玉帝といった名称を用いるようになっていった。玉皇大帝が本格的に最高神とされるようになったのは[[北宋]]である。[[真宗 (宋)|真宗]]が[[大中祥符]]8年([[1015年]])に「太上開天執符御歴含真体道玉皇大天帝」という尊号を賜り、国家的な祭祀対象となった。また[[徽宗]]が[[政和]]6年([[1116年]])に「太上開天執符御歴含真体道昊天玉皇上帝」という尊号を追贈し、昊天上帝と同一視されるようになる「玉皇」という名称は古くは六朝の道士・陶弘景の『真霊位業図』の中にみられるが、その地位はあまり高くはなかった。唐代にはその名称が普及し、詩文の中で'''天帝の美称'''として玉皇や玉帝といった名称を用いるようになっていった。玉皇大帝が本格的に最高神とされるようになったのは北宋である。真宗が大中祥符8年(1015年)に「太上開天執符御歴含真体道玉皇大天帝」という尊号を賜り、国家的な祭祀対象となった。また徽宗が政和6年(1116年)に「太上開天執符御歴含真体道昊天玉皇上帝」という尊号を追贈し、昊天上帝と同一視されるようになる<ref name="蜂屋2004">[[#蜂屋 2004|蜂屋 2004]], p. 10-19.</ref><ref name="呂宗力&欒保群1991">[[#呂宗力&欒保群1991|呂宗力 & 欒保群 1991]], p. 35, p. 41-44.</ref>。
三清を補佐し天界の政務を行う「'''[[四御]]'''」(玉皇大帝、[[北極紫微大帝]]、[[天皇大帝|勾陳天皇大帝]]、[[后土|后土皇地祇]])の一員とされる。三清と合わせて「三清四御」と呼ぶこともある<ref name="二階堂2002">[[#二階堂 2002|二階堂 2002]], p. 138-143.</ref>。
== 各種文献における記述 ==
=== 道教経典 ===
<!--呂宗力&欒保群1991、二階堂2001ここから-->道教儀礼で広く用いられる『{{仮リンク|玉皇経|zh|高上玉皇本行集經}}』(『高上玉皇本行集経』)には以下のような記述がある。
=== 西遊記 ===
『西遊記』では「高天上聖大慈仁者玉皇大天尊玄穹高上帝」の名で登場し、霊霄殿に出御し朝政を行っているとする。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
== 参考文献 ==
== 関連項目 ==
* [[道教]]
** [[三清]]
* [[中国神話]]
** [[三皇五帝]]
* [[四御]]
* {{仮リンク|玄天上帝|zh|玄天上帝}}
* [[西王母]]
* [https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000140414 玉皇上帝について知りたい。] - レファレンス協同データベース(2013年11月)
* [https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=772548 《玉皇經》] - 中國哲學書電子化計劃 維基
== 参照 ==
{{デフォルトソート:きよくこうたいてい}}
[[Category:中国神話]]
[[Category:道教]]