* 古く奈良時代以前から奈伎良(ナギラ)とも呼ばれた。
* 柳の枝を生糸で編んで作った箱を柳筥(やないばこ)と言い神道では'''重要な神具'''である。柳筥に神鏡を納めたり、また柳筥に短冊を乗せたりもするもので、奈良時代から皇室や神社で使用され続けている<ref>神社本庁『神社有職故実』1951年7月15日発行全129頁中24頁</ref>。
* [[花札]]では[[旧暦11月|11月]]の絵柄として、「柳に[[小野道風]]」、「柳に[[ツバメ|燕]]」、「柳に[[短冊]]」、[[かす|カス]](鬼札)が描かれる。花札では1月の絵柄として、「柳に小野道風」、「'''柳に燕'''<ref>これは本来は「初夏」のイメージの図である。</ref>」、「柳に短冊」、カス(鬼札)が描かれる。
=== 土木工事への利用 ===
[[挿し木]]で容易に増えることから、[[治山]]などの[[土留]]工、伏工ではヤナギの木杭や止め釘を用い、緑化を進める基礎とすることがある。挿し木で容易に増えることから、治山などの土留工、伏工ではヤナギの木杭や止め釘を用い、緑化を進める基礎とすることがある。
=== 柳女 ===
'''柳女'''(やなぎおんな)は、[[江戸時代]]の奇談集『[[絵本百物語]]』にある[[ヤナギ]]の怪異。(やなぎおんな)は、江戸時代の奇談集『絵本百物語』にあるヤナギの怪異。
画図ではヤナギの木の下に、子供を抱いた女の姿が描かれている。解説文によれば風の激しい日に、子供を抱いた女がヤナギの木の下を通ったところ、女の首にヤナギの枝が巻きついて死んでしまい、その女の一念がヤナギの木に留まり、夜な夜な現れ「口おしや、恨めしの柳や」と泣くという<ref name="多田編1997_42">多田編1997年、42頁。</ref><ref group="私注">これはヤナギと[[#多田編1997|多田編1997年人身御供]]、42頁。の関連が示唆される伝承であると思う。ヤナギを治水工事で使用していれば、それは治水に関する[[人身御供]]でもあったのかもしれない、と思う。</ref>。
『絵本百物語』以外にも、ヤナギと女にまつわる話として、[[宝暦]]時代の『祇園女御九重錦』や[[文政]]時代の『三十三間堂棟木由来』などの[[浄瑠璃]]に、ヤナギの[[精霊|精]]が人間の女性に化けて人と契る話があり、[[民間信仰]]にもヤナギにまつわる[[俗信]]は多い『絵本百物語』以外にも、ヤナギと女にまつわる話として、宝暦時代の『祇園女御九重錦』や文政時代の『三十三間堂棟木由来』などの浄瑠璃に、ヤナギの精が人間の女性に化けて人と契る話があり、民間信仰にもヤナギにまつわる俗信は多い<ref name="多田編1997">多田編1997年、133-134頁。</ref>。『絵本百物語』本文においては、ヤナギが女に例えられることや、ヤナギが女に化ける話は、[[宋 (王朝)|宋]]の士捷(ししょう)という者がヤナギに食われて死んだことが由来とされており、勇猛なイメージを持つ[[マツ]]に対して、ヤナギは優しい姿のために女の姿をとるのだという。『絵本百物語』本文においては、'''ヤナギが女に例えられる'''ことや、ヤナギが女に化ける話は、宋の士捷(ししょう)という者がヤナギに食われて死んだことが由来とされており、勇猛なイメージを持つマツに対して、ヤナギは優しい姿のために女の姿をとるのだという<ref name="多田編1997_42" />。
また、ヤナギそのものが[[霊魂|霊]]の宿る木と考えられ、ヤナギの枝が風になびく様子が[[幽霊]]の手の動作と同じように見え、風に揺れるヤナギの古木の枝に頬を撫でられたり傘を取られたりすることがヤナギの精の仕業と恐れられたことを「柳女」の由来とする説もあり、同様にヤナギのイメージから生まれたと考えられている『絵本百物語』の妖怪に「[[柳婆]]」がある。また[[怪談]]や[[民間伝承]]において「柳女」と同じく死んだ女の霊が子供を抱いて現れる[[妖怪]]に「[[産女]]」がある<ref>{{Cite book|和書|author=岩井宏實|authorlink=岩井宏實|title=暮しの中の妖怪たち|edition=|year=2000|publisher=[[河出書房新社]]|series=[[河出文庫]]|isbn=978-4309473963|pages=118-119}}</ref>。