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* [[三貴子]](イザナギ自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとしたアマテラスを含む三姉弟の神)
** 弟 [[月読命]](月読命、月夜見尊)(記紀に性別についての記述がなく実際は性別不明)
** 弟 [[スサノオ須佐之男命]](建速須佐之男命、須佐之男命、建素戔嗚尊速、素戔男尊、素戔嗚尊)* 夫 なし(ただしスサノオとの誓約が両神の結婚を表しているという解釈もある夫 なし(ただし須佐之男命との誓約が両神の結婚を表しているという解釈もある<ref>『古事記の本』学研、2006年、81頁。</ref>)* 五男三女神([[アマテラスとスサノオの誓約]]の際に生じた神:女神がスサノオの剣をアマテラスが口に含み先に生んだ子、男神がスサノオがアマテラスの玉を口に含み後に生んだ子)の際に生じた神:女神が須佐之男命の剣をアマテラスが口に含み先に生んだ子、男神が須佐之男命がアマテラスの玉を口に含み後に生んだ子)
** 女神 [[タキリビメ|多紀理毘売命]] - 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)
** 女神 [[イチキシマヒメ|市寸島比売命]] - 別名:狭依毘売命(さよりびめ)
[[月読命]]同様、明確な性別の記載があるわけではないが、『日本書紀』では[[スサノヲ須佐之男命]]に姉と呼ばれていること、[[アマテラスとスサノオの誓約]]において武装する前に髪を解き角髪に結び直す、つまり平素には男性の髪型をしていなかったことに加え、機織り部屋で仕事をすることなど女性と読み取れる記述が多いことなどから、古来より一般に女神と解されている。
別名の「オホヒルメノムチ(大日孁貴)」の「オホ(大)」は尊称、「ムチ(貴)」は「高貴な者」、「ヒルメ(日孁)」は「日の女神」<ref>『日本国語大辞典』<sup>'''(full, 2018-05)'''</sup></ref>を表す。但し「孁」は「巫」と同義であり、古来は太陽神に仕える巫女であったとも考えられる<ref>1927-2016., Ueda, Masaaki,, Nihon shinwa, https://www.worldcat.org/oclc/650211550, Shinpan, saihan, Heisei 22 [2010], Kadokawa Gakugei Shuppan, isbn:9784044094249, Tōkyō, 1927-, 上田正昭, oclc:650211550</ref>。「ヒコ(彦)・ヒメ(姫・媛)」、「ヲトコ(男)・ヲトメ」、「イラツコ(郎子)・イラツメ(郎女)」など、古い日本語には伝統的に男性を「コ(子)」・女性を「メ(女)」の音で表す例がみられ、この点からも女神ととらえられる<ref name="名前なし-1">溝口睦子『アマテラスの誕生』<sup>'''(full, 2018-05)'''</sup><sup>'''(要ページ番号. 2017-12)'''</sup></ref>。後述するように中世には仏と同一視されたり、男神説等も広まった<ref>斎藤英喜『読み替えられた日本神話』'''(full, 2018-05)'''</sup><sup>'''(要ページ番号. 2017-12)'''</sup></ref>。
天照大神は[[太陽女神]]としての一面を持ってはいるが、神御衣を織らせ、神田の稲を作り、大嘗祭を行う神であるから、太陽神であるとともに、祭祀を行う古代の巫女を反映した神とする説もある<ref name="S">『神道の本』'''(full, 2018-05)'''</sup><sup>'''(要ページ番号. 2017-12)'''</sup></ref>。ただし、「メ(女)」という語を「妻」「巫女」と解釈する例はないともいわれる<ref name="名前なし-1"/><ref>これは「農耕」に関する祭祀を始め、教えた神、ということで良いのではないだろうか。</ref>。
もとはツングース系民族の太陽神として考えると、本来は皇室始祖の男神であり、女神としての造形には、女帝の推古天皇や、持統天皇(孫の軽皇子がのち文武天皇として即位)、同じく女帝の元明天皇(孫の首皇子がのち聖武天皇として即位)の姿が反映されているとする説もあるもとはツングース系民族の太陽神として考えると、<s>本来は皇室始祖の男神であり</s>、女神としての造形には、女帝の推古天皇や、持統天皇(孫の軽皇子がのち文武天皇として即位)、同じく女帝の元明天皇(孫の首皇子がのち聖武天皇として即位)の姿が反映されているとする説もある<ref>概説日本思想史 編集委員代表 佐藤弘夫(吉田一彦)<sup>'''(要ページ番号. 2017-12)'''</sup></ref><ref>宝賀寿男「天照大神は女性神なのか」『古樹紀之房間』2010年。</ref><ref group="私注">ツングース系の母神といったら珠とか日光感精に関する女神である。彼女自身が赤い珠(太陽)の化身あるいは(おそらく)白く輝く卵(太陽のこと)から生まれるのだから、ツングース系の本来の太陽神は「'''女神'''」である。それが男性形に変更されたのは父系の台頭により変更の必要がある、とされたからで、男性形の太陽神はまず「太陽女神→息子の太陽神(母親の地位を継承)」という変換があり([[啓思想]]1-1型)、次に「男性の太陽神(父)→普通の女神の娘」という変換があったからである([[啓思想]]1-2型)。また、「太陽女神→息子の太陽神(母親の地位を継承)」は「普通の女神→息子の太陽神(母親の地位を継承)」へと変換された([[啓思想]]1-3型)。これによって世界の文化は母系から父系に変更されてしまった、まさに「'''究極の政治的思惑を伴った変換'''」といえると考える。</ref>。兵庫県西宮市の廣田神社は天照大神の荒御魂を祀る大社で、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)という祭神名が伝わっている。これは天照大神を祀る正殿には伝わらない神名であるが、荒祭宮の荒御魂が女神であることの証左とされる<ref group="私注">向津媛(むかいつひめ)とは伊豆能売(いずのめ)のように雷女神の性質を現す名前と考える。和魂の時は太陽女神で、荒御魂が雷女神である、ということは「天候神」としての性質を持つ、ということであり、[[西王母]]的な性質といえる。</ref>。
== 神話での記述 ==
=== 古事記 ===
『古事記』においては、[[伊邪那岐命]](いざなぎのみこと)が[[伊邪那美命]](いざなみのみこと)の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したとしている。このとき右目から生まれた[[月読命]](つくよみのみこと)、鼻から生まれた[[須佐之男命|建速須佐之男命]](たけはやすさのおのみこと)と共に、[[三貴子]](みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した(「神産み」を参照)。(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した(「神産み」を参照)<ref group="私注">「右目から月が生まれ、左目から太陽が生まれた」とは[[盤古]]神話と一致する。</ref>。
海原を委任された須佐之男命は、伊邪那美命のいる[[根の国]]に行きたいと言って泣き続けたため伊邪那岐命によって追放された。須佐之男命は根の国へ行く前に姉の天照大御神に会おうと高天原に上ったが、天照大御神は弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。
* [[クマノクスビ|熊野久須毘命]](くまのくすびのみこと 熊野櫲樟日命)
これで気を良くした須佐之男命は高天原で乱暴を働き、その結果天照大御神は[[岩戸神話|天岩戸]](あまのいわと)に隠れてしまった。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。思金神(おもいかねのかみ)と天児屋命]あめのこやねのみこと)など八百万(やおよろず)の神々は天照大御神を岩戸から出す事に成功し、須佐之男命は高天原から追放された(「(あまのいわと)に隠れてしまった。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。思金神(おもいかねのかみ)と天児屋命(あめのこやねのみこと)など八百万(やおよろず)の神々は天照大御神を岩戸から出す事に成功し、須佐之男命は高天原から追放された(「[[岩戸神話|天岩戸]]」を参照)。
大国主神(おおくにぬしかみ)の治めていた葦原中国(あしはらのなかつくに)を生んだのは親である岐美二神(イザナギとイザナミ)と考え、葦原中国の領有権を子の大国主神(おおくにぬしかみ)の治めていた葦原中国(あしはらのなかつくに)を生んだのは親である岐美二神([[伊邪那美命]]と[[伊邪那岐命]])と考え、葦原中国の領有権を子の[[天忍穂耳命]](あめのおしほみみのみこと)に渡して降臨させることにし、天津神(あまつかみ)の使者達を大国主神の元へ次々と派遣した。最終的に武力によって葦原中国が平定され、いよいよ天忍穂耳命が降臨することになったが、その間に[[邇邇芸命]](ににぎのみこと)が生まれたので、孫に当たるニニギを降臨させた(「[[葦原中国平定]]」「[[天孫降臨]]」を参照)。その時[[八尺鏡]]を自身の代わりとして祀らせるため、降臨する神々に携えさせた。を'''自身の代わりとして'''祀らせるため、降臨する神々に携えさせた<ref group="私注">「鏡」は日本の神社ではご神体として祀られることが多いが、中国神話では[[雷母]]の持ち物とされ、雷女神の象徴であり、雷光を発生させる道具であると考える。雷女神は、中国・日本の神話の中では、どちらかといえば下位の女神といえるが、太陽女神から別れて地位が低下した女神と思われ、元々は太陽女神が天候神としての性質も備えていて、雷鏡を所有していたと思われる。天照大御神が天候神であり、雷を発生させる能力がある、と考えられていたことが分かる。</ref>。
== 信仰 ==
江戸時代に入ると、伊勢神宮の御師の活動がさらに活発化した<ref>伊勢神宮の歴史・文化, https://www.isejingu.or.jp/about/history/, 伊勢神宮, 2021-05-06</ref>ことや、近世期に全国の神社を管轄した吉田家が天照大神・八幡神・春日神の三柱の神徳を讃える三社託宣]を庶民に拡散させていった<ref name="國學院大學日本文化研究所編「三社託宣」『神道事典』弘文堂(1999)399頁">國學院大學日本文化研究所編「三社託宣」『神道事典』弘文堂(1999)399頁</ref>ことなどから、天照大神への信仰がさらに庶民階層に広がり、伊勢神宮の神徳を讃える風流踊りである「伊勢踊り」が流行し<ref name="西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)136-140頁">西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)136-140頁</ref>、田植え唄などにも天照大神が唄われるようになった<ref name="西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)187-189頁">西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)187-189頁</ref>。また、自宅の神棚に天照大御神の神体として御祓を祭ることが盛んになり、江戸時代にはその頒布率は全戸数の9割を占めるまでに至った<ref>神宮大麻, http://www.shiga-jinjacho.jp/taima.html, 滋賀県神社庁, 2021-05-06</ref>。
近世期には、天照大神に対する国家鎮守神観や国民総氏神観がさらに強く人口に膾炙し<ref name="新城常三「近世の伊勢参宮」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1979)39頁">新城常三「近世の伊勢参宮」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1979)39頁</ref>、下人や丁稚、奉公人など被支配階級の伊勢参宮に対する寛容性や参宮の国民的義務観が生じて、お蔭参りをはじめとする庶民の伊勢神宮への参宮が盛行した<ref name="新城常三『社寺と交通』至文堂(1960)153頁">新城常三『社寺と交通』至文堂(1960)153頁</ref>。また、近世期においては天照大神は農業神としての信仰も受けるようになり、近世に盛んになる新田開発など、農村の開拓に当たっては天照大御神が村に勧請される例が関東などに多く見受けられ。また、近世期においては天照大神は'''農業神'''としての信仰も受けるようになり、近世に盛んになる新田開発など、農村の開拓に当たっては天照大御神が村に勧請される例が関東などに多く見受けられ<ref name="西海賢二「伊勢信仰と街道ー古橋家文書からみるー」地域政策ジャーナル(2017)13頁">西海賢二「伊勢信仰と街道ー古橋家文書からみるー」地域政策ジャーナル(2017)13頁</ref>、天照大神の神体として鍬を祀る「御鍬祭」が全国各地の農村で行われた<ref name="西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)144-148頁">西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)144-148頁</ref>。これには、伊勢の御師が檀家を回る際に、神宮大麻のほか農業暦である伊勢暦も渡し歩いたことが影響していると考えられる<ref name="西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)144-148頁">西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)144-148頁</ref>。この他、天照大神は病気平癒など様々な現世利益をもたらす神、全般的な福をもたらす神として広く庶民に信仰された。この他、天照大神は'''病気平癒'''など様々な現世利益をもたらす神、全般的な福をもたらす神として広く庶民に信仰された<ref name="西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)190頁">西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)190頁</ref>。
=== 近現代 ===
=== 各仏教宗派の教学 ===
仏教界においては、宗派にもよるがちょうど[[八幡神]](やはた仏教界においては、宗派にもよるがちょうど八幡神(やはた/ハチマン)のように「'''てんしょうだいじん'''」と音読みで読まれることが多い。; [[真言宗]]: 真言宗では天照大神を[[大日如来]]の[[化身]]と見ていた{{Sfn|の化身と見ていた<ref>伊藤|, 2003|pages=73, pages73-71}}(詳しくは[[両部神道]]の項へ)</ref>; [[日蓮宗]]・[[法華宗]]日蓮宗・法華宗: 日蓮は御書の中で自身の出身地である[[安房国]][[長狭郡]](現在の[[千葉県]][[鴨川市]]の大半)を、天照大神の日本第一の[[御厨]]([[東条御厨日蓮は御書の中で自身の出身地である安房国長狭郡(現在の千葉県鴨川市の大半)を、天照大神の日本第一の御厨(東条御厨]])であると記している。日蓮は天照大神と[[八幡大菩薩]]を日本の法華経守護の善神の筆頭とし[[十界曼荼羅]]に勧請しておりを日本の法華経守護の善神の筆頭とし十界曼荼羅に勧請しており<ref>『日蓮宗辞典』日蓮宗事典刊行委員会 1999年5月</ref>、その本地を[[釈迦牟尼仏]]だとしている<ref>『日蓮聖人の国神観』日蓮聖人と国神観 山川智應 1940年5月{{要ページ番号|date=2017<sup>''(要ページ番号, date2017-12}}12)''</ref>。現在でも日蓮宗・法華宗の寺院では[[三十番神]]の一柱として天照大神が祀られている姿が見られる。。現在でも日蓮宗・法華宗の寺院では三十番神の一柱として天照大神が祀られている姿が見られる。
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: [[昭和]]になると日蓮宗・法華宗各派は、日蓮が御書にて天照大神を帝釈天や梵天などのインドの神と比べて「小神」と呼んだこと、「''天照大神''」という文字が十界曼荼羅の中で[[鬼子母神]]や[[八大龍王]]などよりも下に書かれていることなどが問題視され、法華宗が不敬罪で訴えられる事件となった<ref>『曼陀羅国神不敬事件の真相―戦時下宗教弾圧受難の血涙記』小笠原日堂、礫川全次 2015年2月{{要ページ番号|date=2018-05}}</ref>。
== 天照大神を祀る神社 ==
[[ファイル:Yata no Kagami, artist impression.png|サムネイル|八咫鏡と同型鏡とされる[[大型内行花文鏡]]]]
* 天照大神を祀る神社を'''[[神明神社]]'''といい全国各地にあるが、その総本社は[[神宮]]([[伊勢神宮]])の内宮([[皇大神宮]])である<ref name="Y" /><ref name="N" />。皇大神宮は[[三種の神器]]のうちの一つ[[八咫鏡]](ヤタノカガミ)を[[神体|御神体]]として安置する神社である。[[File:Naiku 001.jpg|thumb|250px|天照大御神を祀る[[伊勢神宮]]の[[内宮]]]]
* [[宮崎県]][[高千穂町]]岩戸には[[岩戸隠れ]]神話の中で天照大神が隠れこもったとされる[[天岩戸]]と天照大神を祀る[[天岩戸神社]]がある。東本宮は天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)を祀り、西本宮は大日孁尊(おおひるめのみこと)を祀る。[[File:Amanoiwato-east-shurine.jpg|thumb|250px|天岩戸神社東本宮]]
== 関連項目 ==
* [[日本の神の一覧西王母]]* [[トヨウケビメ|豊受姫(豊受大神)雷母]] - 豊穣を司る女神で、伊勢神宮外宮の社伝『止由気宮儀式帳』によると天照大神が「独りで食事をするのは寂しい」と神託して招いたとされ、[[雄略天皇]]の時代から豊受大神として伊勢神宮外宮([[豊受大神宮]])に祀られている。
* [[瀬織津姫]](撞賢木厳之御魂天疎向津媛命) - [[廣田神社]]などを筆頭に、天照大神の[[荒魂・和魂|荒魂]]として各地の神社に祀られていることがある。
* [[稚日女尊]]

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