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'''月読神社'''(つきよみじんじゃ、'''月讀神社''')は、京都市西京区にある神社。式内社(名神大社)で、現在は松尾大社摂社。

「松尾七社」の一社。松尾大社の南400メートルの地に鎮座する。

== 祭神 ==
現在の祭神は次の1柱<ref group="注">祭神を1柱とする記載は神社由緒書・境内説明板等の公式表記による。一方、文献によっては[[タカミムスビ|高皇産霊尊]](たかみむすびのみこと)を相殿に祀るともいう(葛野坐月読神社(式内社), 1979)。</ref>。

* '''[[ツクヨミ|月読尊]]'''(つきよみのみこと)
一般に[[ツクヨミ]](月読尊)は、『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』の神話において[[天照大神|アマテラス]](天照大神)の兄弟神として知られるが、月読神社祭神の神格はその記紀神話とは別の伝承で伝えられた月神であると考えられている{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986}}。『[[日本書紀]]』顕宗天皇3年2月条<ref group="原" name="顕宗3"/>における月読神社の創建伝承では、高皇産霊([[タカミムスビ]])を祖とする「月神」は壱岐県主(いきのあがたぬし)に奉斎されたとある{{Sfn|松尾月読神社(平凡社)|1979}}。また『[[先代旧事本紀]]』<ref group="原">『先代旧事本紀』「[[天神本紀]]」。</ref>では、「'''天月神命'''」の神名で壱岐県主祖と見える{{Sfn|松尾月読神社(平凡社)|1979}}<ref name="松前"/>。これらから、当社祭神の神格は海人の'''[[壱岐氏]]'''(いきうじ)によって祀られた月神(海の[[潮汐|干満]]を司る神)と推定される{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986}}。また別の神格として、壱岐氏が卜部を輩出したことから亀卜の神とする説もある<ref name="松前">松前健 『日本神話の謎がよく分かる本』 大和書房、2007年、pp. 60-61。</ref>。

関連して、『日本書紀』顕宗天皇3年4月条<ref group="原">『日本書紀』顕宗天皇3年4月庚申(5日)条。</ref>では対馬下県直が奉斎した「日神」の記載があるが、こちらもまたアマテラスとは異なる太陽信仰を出自とする神とされる{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986}}。同条では、月神と同様にこの日神も高皇産霊を祖とすると記されている{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986}}。

=== 山城国の月神 ===
[[桂川 (淀川水系)|桂川]]と合流する[[綴喜郡]]の[[木津川 (京都府)|木津川]]流域には、[[隼人]]との関係が推測される[[月讀神社_(京田辺市)|月讀神社]]や[[水主神社_(城陽市)|樺井月神社]]が、[[保津川]]を通じて[[葛野郡]]に隣接する[[丹波国]][[桑田郡]]には[[小川月神社]]が存在するなど、桂川周辺には月神を奉祀する信仰の遺跡が広範に確認できる。『[[山城国]][[風土記]]』逸文に、その事実を示す「桂里」の地名由来神話がある。「桂里」は『[[和名抄]]』に見えず、当該記事は古風土記のものではなく後世に述作された可能性が高いとされる。[[月]]と[[桂]]を結び付ける観念自体は古代[[中国]]に存在するものであるから、これが「葛」や「楓」をあてていたカツラの地名を「桂」の表記に固定化させていった過程に誕生した神話であると考えられる。そして、上に挙げた幾つかの神社を拠点に、強固な月神信仰の繁栄した結果であり、山背への月読分祀の背景には,単なる葛野の月読神社という1神社の移遷に留まらない、大規模な動きがあったと考えられる<ref name="#1">北條勝貴「松尾大社における市杵嶋姫命の鎮座について」(『国立歴史民俗博物館研究報告』72集、1997年3月)</ref>。

== 歴史 ==
=== 創建 ===
『[[日本書紀]]』<ref group="原" name="顕宗3">『日本書紀』顕宗天皇3年2月丁巳朔条({{Harvnb|神道・神社史料集成}}参照)。</ref>によれば、[[顕宗天皇]](第23代)3年に任那への使者の阿閉臣事代(あへのおみことしろ)に月神から神託があり、社地を求められた。朝廷はこの月神に対して山背国([[山城国]])[[葛野郡]]の「歌荒樔田(うたあらすだ)」の地を奉り、その祠を壱岐県主祖の押見宿禰が奉斎したという{{Sfn|松尾月読神社(角川)|1982}}{{Sfn|松尾月読神社(平凡社)|1979}}。以上の記事が当社の創建を指すと一般に考えられている{{Sfn|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}。この月神は、通説では元々[[壱岐国]]の[[式内社]]である[[月読神社]]から分祠されたものであるとされる<ref name="#1"/>。その後『[[日本文徳天皇実録]]』<ref group="原" name="斉衡3">『日本文徳天皇実録』斉衡3年(856年)3月戊午(15日)条({{Harvnb|神道・神社史料集成}}参照)。</ref>によれば、[[斉衡]]3年([[856年]])に水害の危険を避けるため月読社は「松尾之南山」に遷座されたといい、以後現在まで当地に鎮座するとされる{{Sfn|松尾月読神社(平凡社)|1979}}<ref group="注">松尾への遷座については、『日本文徳天皇実録』では斉衡3年(856年)とするほか、『月読大神宮伝記』では仁寿3年(853年)、『松尾七社略記』所引「社家相伝之説」では大宝元年(701年)とする。これらのうち正史の斉衡3年(856年)が最も有力視される {{Harv|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}。</ref>。このほか『山城国風土記』逸文によれば、月読尊が[[保食神]]のもとを訪れた際、その地にあった[[桂]]の木に憑りついたといい、「桂」の地名はこれに始まるという説話が記されている{{Sfn|上田正昭|1997}}。

[[File:Iki Tukiyomi shrine.JPG|thumb|220px|right|{{center|[[月讀神社 (壱岐市)|月讀神社]]([[長崎県]][[壱岐市]])}}{{Small|[[壱岐島]]にある元社「月読神社」の[[論社]]。}}]]
前述のように顕宗天皇3年の記事は壱岐氏の伝承と考えられており、本拠地の[[壱岐島]]にある月読神社<ref group="注">壱岐の月読神社は、『延喜式』神名帳において壱岐島壱岐郡に名神大社として記載される神社で、[[箱崎八幡神社_(壱岐市)|箱崎八幡神社]]または[[月讀神社 (壱岐市)|月讀神社]](ともに長崎県壱岐市)がその論社とされる。</ref>からの[[勧請]](分祠)を伝えるものとされる{{Sfn|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}。山城への勧請には、中央政権と朝鮮半島との関係において対馬・壱岐の重要視が背景にあるとされる{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986}}。壱岐・対馬の氏族が[[卜部氏|卜部]]として中央の祭祀に携わるようになった時期を併せ考えると、月読神社の実際の創建は6世紀中頃から後半と推測されている{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986}}。

当初の鎮座地「歌荒樔田」の比定地について、社伝(月読大神宮伝記)では上野説(月読塚が存在した地)・桂里説を挙げるが、他に宇太村説(のちの平安京造営地)・有栖川流域説などの諸説が知られる{{Sfn|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}。『文徳天皇実録』の記述により川辺にあったことが確かとされることから、中でも上野説が有力視されている{{Sfn|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986|p=165}}。

=== 概史 ===
史実としては、[[大宝 (日本)|大宝]]元年([[701年]])<ref group="原" name="大宝元">『続日本紀』大宝元年(701年)4月丙午(3日)条({{Harvnb|神道・神社史料集成}}参照)。</ref>に「葛野郡月読神」ほか諸神の神稲を[[中臣氏]]に給するという記事が初見である{{Sfn|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}。その後、前述のように斉衡3年(856年)<ref group="原" name="斉衡3"/>に松尾山麓に遷座し、[[天安 (日本)|天安]]3年([[859年]])には正二位の[[神階]]に叙された{{Sfn|松尾月読神社(平凡社)|1979}}<ref group="注">社伝(月読大神宮伝記)では、『日本三代実録』貞観11年(869年)12月17日条で従一位叙位、元慶8年(884年)2月21日条で葛野月読宮奉幣、『日本紀略』『扶桑略記』等の延喜6年(906年)12月20日条で正一位勲二等叙位、天慶4年(941年)8月5日条で神宮号宣下の記事があるというが、いずれも原本には見えない {{Harv|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}。</ref>。

[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])成立の『[[延喜式]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]では、[[山城国]][[葛野郡]]に「葛野坐月読神社 名神大 月次新嘗」として、[[名神大社]]に列するとともに[[月次祭]]・[[新嘗祭]]で[[幣帛]]に預かった旨が記載されている{{Sfn|松尾月読神社(平凡社)|1979}}。神名帳では[[丹波国]][[桑田郡]]にも[[小川月神社]](京都府亀岡市)の記載があり、大堰川流域における月神信仰の広がりが指摘される。

[[中世]]には周辺に「禰宜田」と称する田畑のほか若干の社領を有したが、[[松尾大社]]の勢力に押されたと見られている{{Sfn|松尾月読神社(角川)|1982}}{{Sfn|松尾月読神社(平凡社)|1979}}。これらの社領は[[織田信長]]入京後も安堵された{{Sfn|松尾月読神社(平凡社)|1979}}。

[[近世]]には完全に松尾大社に従属化しており、社領として松尾神社神供料1,000余石のうちから月読禰宜分100石1斗、月読祝分16石が配分される立場であった{{Sfn|松尾月読神社(平凡社)|1979}}。

[[明治維新]]後、[[明治]]10年([[1877年]])3月21日に松尾大社摂社に公式に定められ、現在に至っている{{Sfn|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}。

=== 神階 ===
* [[天安 (日本)|天安]]3年([[859年]])1月27日、正二位 (『[[日本三代実録]]』)<ref group="原">『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条({{Harvnb|神道・神社史料集成}}参照)。</ref> - 表記は「葛野月読神」。

=== 神職 ===
月読神社の[[禰宜]]は、'''松室氏'''(まつむろし)が担っている{{Sfn|松室村(平凡社)|1979}}。松室氏は『日本書紀』顕宗天皇3年条に見える押見宿禰を祖とするといわれ、'''[[壱岐氏]]'''(いきうじ、壱岐県主のち壱岐直)の後裔とされる{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986}}。この壱岐氏について、『[[新撰姓氏録]]』<ref group="原">『新撰姓氏録』右京神別 壱伎直条。</ref>では壱伎直条に「[[天児屋命]]九世孫の雷大臣の後」として、[[中臣氏]](天児屋命後裔)系であるかのような記載があるが、これは壱岐氏が[[卜部氏|卜部]]として朝廷に奉祀するにあたって中臣氏に統率されたためと考えられている{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986}}。このような中臣氏との関係は、[[大宝 (日本)|大宝]]元年([[701年]])に社地を中臣氏に給するという記事にも見える<ref group="原" name="大宝元"/>。なお松尾大社や月読神社に伝わる系図によると、月読神社社家は源平時代に松尾社家([[秦氏]])の女を母とし、秦氏を名乗ったという{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986}}。

「松室」の名乗りは古くは室町時代の文書に見え、以後現在まで松室氏を称している{{Sfn|松室村(平凡社)|1979}}。

== 境内 ==
[[File:Tsukiyomi-jinja (Kyoto, Kyoto) honden.JPG|thumb|220px|right|{{center|本殿}}]]
社地は[[斉衡]]3年([[856年]])記事<ref group="原" name="斉衡3"/>以来、現在地に位置するとされる<ref name="説明板">境内説明板。</ref>。月読神社の京都への勧請に際しては渡来系氏族(特に[[秦氏]])の関わりがあったと考えられており、古代京都の祭祀や渡来文化の考証上重要な神社であるとして、境内は京都市指定史跡に指定されている<ref name="説明板"/>。なお[[室町時代]]初期の「松尾神社境内絵図」によれば、かつての社殿としては本殿・拝殿のほか、假殿・庁屋・講坊・贄殿等があった{{Sfn|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}。

* 本殿 - [[流造]]、屋根は[[檜皮葺]]。
* 拝殿 - [[入母屋造]]、屋根は銅板葺{{Sfn|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}。
* 願掛け陰陽石
* 月延石(つきのべいし) - 「安産石」とも呼ばれ、安産の神として信仰されている<ref name="由緒書"/>。『雍州府志』所載の伝説では、この石は元は[[筑紫]]にあり、[[神功皇后]]が[[応神天皇]]を産む際にこの石で腹を撫でて安産し、のち[[舒明天皇]]の時に月読神社に奉納されたという<ref name="由緒書">神社由緒書。</ref>。
* 社務所
* 神門
<gallery>
File:Tsukuyomi-jinja musubinoki+tsukinobeishi.jpg|月延石
File:Tsukuyomi-jinja2.jpg|神門
</gallery>

== 摂末社 ==
* 御船社 - 祭神:[[鳥之石楠船神|天鳥舟命]]。松尾大社の末社にも属している<ref name="由緒書"/>。松尾大社神幸祭の際には、御船社で渡御の安全祈願祭が行われる<ref name="由緒書"/>。
* 聖徳太子社 - 祭神:[[聖徳太子]]。月読尊を崇敬した太子の霊を祀ったものという<ref name="由緒書"/>。
<gallery>
File:Tsukiyomi-jinja (Kyoto, Kyoto) Mifune-sha.JPG|御船社
File:Tsukiyomi-jinja (Kyoto, Kyoto) Shotokutaishi-sha.JPG|聖徳太子社
</gallery>

== 祭事 ==
* 例祭 ([[10月3日]])<ref>祭事の記載は神社由緒書による。</ref>
* 御舟社祭<!--ママ--> - 松尾大社神幸祭前日に執行。

松尾大社神幸祭では、松尾大社本社や他の松尾七社とともに月読神社も出御するが、月読神社のみ神輿ではなく[[唐櫃]]を出すこととなっている{{Sfn|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}。このことについて、伝承ではかつての祭礼で神輿が流されたため唐櫃を使用するという{{Sfn|本田健一|2015|pp=120-130}}。一方、月読神社境内の御船社の存在とから唐櫃は船を意味するとし、当初から神輿は使用されなかったとしたうえで、唐櫃・御船社のいずれも月読神社の月神が海人により信仰された名残とする説がある{{Sfn|葛野坐月読神社(神々)|1986}}{{Sfn|本田健一|2015|pp=120-130}}。また、還幸祭で[[御旅所]]として使用される朱雀御旅所(松尾総神社)では月読尊が祭神に祀られていることから、月読神社で元々行われていた独自祭祀が松尾大社の祭礼に吸収された結果、現在のように松尾祭で御旅所として機能するに至ったとする説もある{{Sfn|本田健一|2015|pp=120-130}}。

== 文化財 ==
=== 京都市指定史跡 ===
* 月読神社境内 - 平成5年4月1日指定<ref>[http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005901.html 京都市指定・登録文化財-史跡-西京区](京都市ホームページ)。</ref>。

=== その他 ===
松尾大社本社では、平安時代の作とされる3躯の神像(国の[[重要文化財]])が伝えられるが、そのうち壮年男神像は月読尊と伝えられる。また月読神社では[[神像]]として女神像1躯が伝えられており、他の松尾大社摂末社の神像と併せて京都府指定文化財に指定され、現在は松尾大社の宝物館に所蔵・展示されている(「[[松尾大社#文化財]]」参照)。

== 現地情報 ==
'''所在地'''
* [[京都府]][[京都市]][[西京区]]松室山添町15

'''交通アクセス'''
* 鉄道:[[阪急電鉄]][[阪急嵐山線|嵐山線]] [[松尾大社駅]] (徒歩約8分)

'''周辺'''
* [[松尾大社]]

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
'''注釈'''
{{reflist|group="注"}}

'''原典'''
{{reflist|group="原"}}

'''出典'''
{{reflist|2}}

== 参考文献・サイト ==
* 神社由緒書「月読神社」
* 境内説明板

'''書籍'''
* 百科事典
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1981|chapter=|title=[[日本歴史地名大系]] 27 京都市の地名|publisher=[[平凡社]]|isbn=978-4582490275|ref=}}
*** {{Wikicite|reference=「松室村」|ref={{Harvid|松室村(平凡社)|1979}}}}、{{Wikicite|reference=「松尾月読神社」|ref={{Harvid|松尾月読神社(平凡社)|1979}}}}。
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1982|chapter=松尾月読神社|title=[[角川日本地名大辞典]] 26-1 京都府|publisher=[[角川書店]]|isbn=4040012615|ref={{Harvid|松尾月読神社(角川)|1982}}}}
* その他文献
** {{Cite book|和書|editor=式内社研究会|author=笠井倭人|year=1979|chapter=葛野坐月読神社|title=式内社調査報告 第1巻|publisher=[[皇學館大学]]出版部|page=|isbn=|ref={{Harvid|葛野坐月読神社(式内社)|1979}}}}
** {{Cite book|和書|editor=谷川健一|editor-link=谷川健一|author=大和岩雄|authorlink=大和岩雄|year=1986|chapter=葛野坐月読神社|title=日本の神々 -神社と聖地- 5 山城・近江|publisher=[[白水社]]|isbn=4560022151|ref={{Harvid|葛野坐月読神社(神々)|1986}}}}
** {{Wikicite|reference=[[上田正昭]] {{PDFlink|[http://www.pref.kyoto.jp/jinken/documents/1271055962285.pdf 「松尾と月読の古社」]}}『[http://www.pref.kyoto.jp/jinken/yukari03.html 人権 ゆかりの地をたずねて3]』 京都人権啓発推進会議、1997年、pp. 14-15(リンクは京都府ホームページ)|ref={{Harvid|上田正昭|1997}}}}。
** {{Cite book|和書|editor=松尾大社|author=|year=2007|chapter=松尾大社の摂社・御旅所・末社|title=松尾大社|publisher=[[学生社]]|isbn=|ref={{Harvid|松尾大社(学生社)|2007}}}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=本田健一|year=2015|chapter=|title=京都の神社と祭り -千年都市における歴史と空間-(中公新書2345)|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=978-4121023452|ref={{Harvid|本田健一|2015}}}}

'''サイト'''
* {{Cite web|url=http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/011801.html|author=|title=葛野坐月読神社(山城国葛野郡)|work=|publisher=國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」|date=|accessdate=2014-5-31|ref={{Harvid|神道・神社史料集成}}}}

== 関連項目 ==
* [[天月神命]]
* [[月読命]]

== 外部リンク ==
* [http://www.matsunoo.or.jp/index-1/index.html 松尾大社] - 公式サイト
* {{神道・神社史料集成|011801|葛野坐月読神社}}

== 参照 ==

{{DEFAULTSORT:つきよみしんしや きようと}}
[[Category:日本神話]]
[[Category:神社]]
[[Category:京都府]]
[[Category:式内社]]
[[Category:摂末社]]

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