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1,089 バイト除去 、 2022年10月2日 (日) 18:27
[[啓思想]]によって定義された月読命や須佐之男は「'''妻殺し'''」の正当化を象徴する神といえる。[[天照大御神]]はそれを非難しているのだから、「'''妻殺し'''」を正当化しない神の象徴であるいえる。これは「日月分離」にこと寄せて、日本神話において、それぞれの神の思想と立場を明確にした神話と考える。
 
==== 顕宗紀 ====
ツクヨミは、神々にかわって人間の[[天皇]]が支配するようになった時代(神代から人代に移行した後)に再び現れる。『書紀』巻十五の[[顕宗天皇|顕宗]]紀には、任那へ派遣された阿閉臣事代に月神が憑いて高皇産霊をわが祖と称し、「我が月神に奉れ、さすれば喜びがあろう」と宣ったので、その言葉通り[[山城国|山背国]]の葛野郡に社を建て、壱岐県主の祖・押見宿禰(おしみのすくね)に祭らせたという記録がある。これが山背国の月詠神社の由来であり、宣託された[[壱岐島|壱岐]]には[[月讀神社 (壱岐市)|月詠神社]]が存在し、山背国の[[月詠神社 (京都市)|月読神社]]の元宮と言われている。が、これは現在では[[橘三喜]]の誤りで、宣託された本来の式内社月読神社は男岳にあった月読神社とされる。今は遷座され箱崎八幡神社に鎮座している。<ref>『式内社調査報告』山口麻太郎</ref>
=== 『続日本紀』 ===

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