差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
213 バイト追加 、 2022年9月26日 (月) 19:04
人物の頭の上に太陽が描かれていたからといって、それをすぐに「太陽神」と決めつけてしまって良いのだろうか、とやや疑問に感じる。候補としては、'''太陽神、雷神、あるいは後の盤古となるような巨人'''が考えられ得ると思う。梅原、安田の説によると、後の大渓文化で、王というものが登場したのではないか、とのことである<ref>長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、p110-111</ref>。支配者としての世襲の男性の王の出現と身分の階級化の開始は、古代中国の父系化の開始ともいえる。
城背渓文化が'''母系文化'''であって、「太陽神」=「女神」であれば、石刻の人物は、'''太陽神の下位にくる雷神、樹木神、盤古のような世界の基礎となる巨人'''が考え得る。'''父系文化'''がすでに開始されていて、男性が支配者であれば石刻の人物は人々や神々の頂点に位置する'''王(帝)'''、'''太陽神'''の可能性が高くなる、と考える。'''母系文化'''の場合、頂点に来る「太陽」は後に[[西王母]]と[[女媧]]に分裂・分化する女神のことと考える。盤古的巨人の腰についている[[ヒョウタン]](要は陰嚢あるいは陰茎のこと)が[[伏羲]]なのであろう<ref group="私注">[[瓠公]]も参照のこと。</ref>。[[ヒョウタン]]で作る杓は北斗七星に例えられたと思われる。北斗七星は大地を潤す「星の杓」として農耕の神のシンボルでもあった<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%A4%A7%E5%B8%9D 天皇大帝](最終閲覧日:22-09-26)</ref>。そのため、巨人の腰部の星は北斗七星を示しているとも考えられる。巨人は太陽女神が治める北斗でもあったと思われる([[西王母]]、'''季節型豊穣神'''の項を参照のこと)。の項を参照のこと)<ref>男性原理である[[ヒョウタン]]が北斗であり、地上に水をもたらすものである、という思想は、田縣神社(愛知県)のご神体の思想そのものといえる。</ref>。
ただし、個人的には巨人そのものは'''王'''の象徴で良いのではないか、と思う。何故なら石刻の人物は、髪の毛がほとんどなく、「'''弁髪'''」であるように見えるし、それは中国北東部の住人の文化だからである。人物は、'''北方から攻め込んできて人々を征服した支配者の象徴'''ではないだろうか。とすれば、'''王'''とみなすことが妥当であり、太陽よりも大きな姿はその偉大さを現しているともいえる。しかも支配者による父系文化がすでに開始されていた証拠ともなる。そのため、「太陽信仰」といった自然現象を精霊神として崇拝するいわゆるアニミズムの他に、王やその先祖を精霊神と同列にして崇拝の対象とする、いわゆる殷型の「'''祖神信仰'''」も発生しており、その証拠が「太陽神石刻」ではないのだろうか。その場合には後の殷と同様、王が自ら祭祀者(シャーマン)となって祖霊を祀った可能性も高いと考える。

案内メニュー