西王母は、不老不死の仙桃(蟠桃<ref>蟠桃は道教の女神・西王母が天界で育てる桃であり、食べれば不老不死が授かるとされた。『西遊記』には、孫悟空が蟠桃を盗み食いした挙句、天界の神仙らと大立ち回りを演じる場面がある。 (Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%A6 バントウ]より(最終閲覧日:22-09-25))</ref>)を管理する、艶やかにして麗しい天の女主人として、絶大な信仰を集めるにいたった。'''王母へ生贄を運ぶ役目だった青鳥'''<ref group="私注">この青鳥も「'''境界神'''」といえる。</ref>も、「西王母が宴を開くときに出す使い鳥」という役どころに姿を変え、やがては「青鳥」といえば「知らせ、手紙」という意味に用いられるほどになったのである。中国民間では旧暦三月三日の「桃の節句」が西王母の誕辰で、この日には神々が彼女の瑶池に集まって蟠桃会を行なうと伝えている<ref>劉, 1994, p=379</ref><ref>『西王母と七夕伝承』p. 94.</ref><ref>『燕京歳時記—北京年中行事記』p. 73.</ref><ref>『アジア佛教史・中国編 Ⅲ 現代中国諸宗教—民衆宗教の系譜—』p. 28.</ref>。
『淮南子』では、西王母が持していた'''不死の薬'''を姮娥(恒娥)が盗んで月へと逃げたと記している。を[[嫦娥|姮娥]](恒娥)が盗んで月へと逃げたと記している。
班固の『漢武内伝』によれば、前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は墉宮玉女たち(西王母の侍女)とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという<ref name="漢武内伝">『漢武内伝』 , 2021/08/20 , https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%AD%A6%E5%B8%9D%E5%85%A7%E5%82%B3, ウィキソース</ref>。さらに秘術の経典『五岳真形図』と養生の経典『霊光生経』を授与することがある<ref name="漢武内伝" />。『漢武内伝』は西王母の美しい容姿を初めて描写している。西王母は黄金色に光り輝く華美な衣装を纏い、霊飛大綬を佩用し、頭は太華髻を作り、太真晨嬰の冠を戴き、玄瓊鳳文の靴を履き、腰には分頭の剣(あるいは分景の剣<ref>『欽定古今図書集成』巻二百八十六, 2021/08/23, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AC%BD%E5%AE%9A%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%9C%96%E6%9B%B8%E9%9B%86%E6%88%90/%E7%B6%93%E6%BF%9F%E5%BD%99%E7%B7%A8/%E6%88%8E%E6%94%BF%E5%85%B8/%E7%AC%AC286%E5%8D%B7, ウィキソース</ref>)を帯びた三十歳くらいの絶世の美女である<ref name="漢武内伝" />。『漢武内伝』に登場する西王母の侍女の名前は、王子登、董双成、石公子、許飛瓊、阮凌華、范成君、段安香、安法嬰、郭密香、田四飛、李慶孫、宋霊賓である<ref name="漢武内伝" />。漢末の建平4年(紀元前3年)、華北地方一帯に西王母のお告げを記したお札が拡散し、騒擾をもたらしたという記述が、『漢書』の「哀帝紀」や「五行志」に見える。
* [[織女]]
* [[瑤姫]] - 西王母の娘とする伝承がある。
* [[嫦娥]]
== 私的注釈 ==