『列子』楊朱第七によれば、このとき仕事に打ち込みすぎ、身体が半身不随になり、手足はひび・あかぎれだらけになったという。しかしこの伝説は、元来存在した「禹は偏枯なり」という描写を後世に合理的に解釈した結果うまれた物語だとされる。『荘子』盗跖篇巻第二十九には「堯は不慈、舜は不孝、禹は偏枯」とあり『荀子』巻第三非相篇第五には「禹は跳び、湯は偏し」とある。白川静は『山海経』にみえる魚に「偏枯」という表現が使われていることから、禹は当初は魚の姿をした神格だったという仮説を立てた<ref group="私注">白川の説は興味深く感じる。古代メソポタミアにはエンキという魚の姿をした川の神が存在する。また、[[ミャオ族]]には雨乞いのために魚を生贄に捧げる「殺魚祭」があったように思う。</ref>。
そしてこの「偏枯」という特徴を真似たとされる歩行方法が'''禹歩'''であり、半身不随でよろめくように、または片脚で跳ぶように歩く身体技法のことを言う。禹歩は[[道教]]や中国の民間信仰の儀式において巫者が実践したやり方であり、これによって雨を降らすことができるとか岩を動かすことができるとか伝えられている。日本の呪術的な身体技法である[[反閇]](へんばい)も『[[下学集]]』などの中世の辞書では禹歩と同一視されているが、必ずしも同じであったわけではないらしい。であり、半身不随でよろめくように、または片脚で跳ぶように歩く身体技法のことを言う。禹歩は道教や中国の民間信仰の儀式において巫者が実践したやり方であり、これによって'''雨を降らすことができるとか岩を動かすことができる'''<ref>禹が一種の技術神(特許神)であったことが窺える。</ref>とか伝えられている。日本の呪術的な身体技法である反閇(へんばい)も『下学集』などの中世の辞書では禹歩と同一視されているが、必ずしも同じであったわけではないらしい。
『太平広記』の中に記載する「神(瑶姫)は禹に鬼神を召喚する本を贈る」<ref>『太平広記』「有巫山焉,峰岩挺抜,林壑幽麗,巨石如壇,留連久之。時大禹理水,駐山下。大風卒至,崖振谷隕,不可制。因与夫人相値,拝而求助。即勅侍女,授禹策召鬼神之書,因命其神狂章、虞余、黄麾、大翳、庚辰([[応竜]])、童律、巨霊等助禹,斫石疏波,決塞導阨,以循其流」</ref>。
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