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=== 『日本書紀』 ===
『[[日本書紀]]』では[[垂仁天皇]]紀に記述がある。『日本書紀』では垂仁天皇紀に記述がある。
都怒我阿羅斯等は自分の牛に荷物を背負わせて田舎へ行ったが、牛が急にいなくなってしまった。足跡を追って村の中に入ると、その村の役人が、「この荷の内容からすると、この牛の持ち主はこの牛を食べようとしているのだろう」と言って食べてしまったという。都怒我阿羅斯等は牛の代償として、その村で神として祀られている白い石を譲り受けた。石を持ち帰って寝床に置くと、石は美しい娘になった。
都怒我阿羅斯等が喜んで娘と性交しようとしたが、目を離したすきに娘はいなくなってしまった。都怒我阿羅斯等の妻によれば、娘は東の方へ行ったという。娘は難波に至って比売語曾社の神となり、また、[[豊国]]の[[国東郡|国前郡]]へ至って[[比売語曽社|比売語曾社]]の神となり、二箇所で祀られているという。都怒我阿羅斯等が喜んで娘と性交しようとしたが、目を離したすきに娘はいなくなってしまった。都怒我阿羅斯等の妻によれば、娘は東の方へ行ったという。娘は難波に至って比売語曾社の神となり、また、豊国の国前郡へ至って比売語曾社の神となり、二箇所で祀られているという。
=== 『摂津国風土記』逸文 ===
『[[摂津国風土記]]』逸文にも阿加流比売神と思われる神についての記述がある。『摂津国風土記』逸文にも阿加流比売神と思われる神についての記述がある。
[[応神天皇]]の時代、新羅にいた女神が夫から逃れて[[筑紫国]]の「伊波比の比売島」に住んでいた。しかし、ここにいてはすぐに夫に見つかるだろうとその島を離れ、難波の島に至り、前に住んでいた島の名前をとって「比売島」と名附けた。応神天皇の時代、新羅にいた女神が夫から逃れて筑紫国の「伊波比の比売島」に住んでいた。しかし、ここにいてはすぐに夫に見つかるだろうとその島を離れ、難波の島に至り、前に住んでいた島の名前をとって「比売島」と名附けた。
== 解説 ==
『古事記』の阿加流比売神の出生譚は、女が日光を受けて卵を生み、そこから人間が生まれるという『古事記』の阿加流比売神の出生譚は、女が日光を受けて卵を生み、そこから人間が生まれるという卵生神話の一種であり、類似した説話が東アジアに多く伝わっている。例えば扶余族の高句麗の始祖[[卵生神話]]の一種であり、類似した説話が東アジアに多く伝わっている。例えば[[夫余朱蒙|扶余]]族の[[高句麗]]の[[始祖]][[東明聖王]](朱蒙)や[[新羅]]の始祖(朱蒙)や新羅の始祖[[赫居世居西干|赫居世]]、倭より渡った新羅王族昔氏の伝承、[[伽耶]]諸国のひとつ[[伽耶#金官国(駕洛国)|金官国]]の始祖[[首露王]]の出生譚などがそうである。、倭より渡った新羅王族昔氏の伝承、伽耶諸国のひとつ金官国の始祖首露王の出生譚などがそうである。
『古事記』に記述された「難波の比売碁曾社」に相当する神社として[[大阪市]][[東成区]]東小橋の[[比売許曽神社]]があるが、現在、この神社の[[主祭神]]は[[大国主]]の娘の[[シタテルヒメ|下照比売命]]とされている。

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