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『酉陽雑俎』では、木の鳶を作り、3つの楔を打ち込んで飛ばしていた、公輸般の父親が木鳶へ10の楔を打ち込み飛んだところ、呉まで行ってしまい、現地人に殺された、という伝説がある。ここに引かれた伝承が、「公輸般の怒りにより木像が立てられ、呉国には雨が降らなくなったが、現地人が謝罪したため大雨が降った」という、匠を讃える話になっているのを筆頭に、唐代に、仏教の施設、寺院などの、名工の作品は魯班の作ということにされ、清代の文献で、「鶏鳴山の麓の渾河にある石の柱は、その昔、魯班が橋を架けようとして、姉の意図により途中で終った残骸」という伝承が登場している。
『墨子』「魯問篇」にある、「公輸盤が[[木]][[竹]]で[[鵲]]([[凧]]のようなものとされる)を作った」話について、『[[韓非子]]』「外儲説左」『墨子』「魯問篇」にある、「公輸盤が木竹で鵲(凧のようなものとされる)を作った」話について、『韓非子』「外儲説左」<ref>『韓非子』[[明治書院]]下巻 『韓非子』明治書院下巻 p465</ref>にある、「墨子が木で鳶を作った」という話との類似点が示唆されている<ref>『墨子』明治書院下巻 p674</ref>。
公輸盤は、巧聖先師という名前で信仰され、[[瓦]]職人・[[大工]]・[[左官]]の[[ギルド]]で崇拝されていた。公輸盤は、巧聖先師という名前で信仰され、瓦職人・大工・左官のギルドで崇拝されていた。
== 『墨子』公輸篇 ==
と王が答えた.よって墨子はいった.
「楚の領地は五千里四方もあり,宋は五百里四方であります.あたかも飾車とぼろ車のちがいがあります.楚には「[[犀「楚の領地は五千里四方もあり,宋は五百里四方であります.あたかも飾車とぼろ車のちがいがあります.楚には「犀兕鹿麋」などが多数に住む雲夢沢があり,揚子江や漢水の「魚鱉黿鼉」は天下の富でありますが,宋には雉]]兕[[鹿]]麋」などが多数に住む雲夢沢があり,揚子江や[[漢水]]の「[[魚]]鱉黿鼉」は天下の富でありますが,宋には[[雉]][[兎]][[狐]][[狸]]さえもおりません.まさに,梁や肉の美食と糠糟のちがいがあります.楚には長松・文梓・楩柟・櫲樟などの木があり,宋には高い木はありません.あたかも錦繍と粗布の違いがあります.この三例からみて,大王が宋を攻められるのは,盗人のたとえと同じと考えます.大王は必ず義を傷つけ,しかも得るところがないと存じます」兎狐狸さえもおりません.まさに,梁や肉の美食と糠糟のちがいがあります.楚には長松・文梓・楩柟・櫲樟などの木があり,宋には高い木はありません.あたかも錦繍と粗布の違いがあります.この三例からみて,大王が宋を攻められるのは,盗人のたとえと同じと考えます.大王は必ず義を傷つけ,しかも得るところがないと存じます」
そこで楚王は,
墨子は帰国の途中,宋を通り過ぎた.雨がふったので,村里の門に雨宿りしようとしたが,門番が入れなかった.これは諺にある通り,「ものごとを神妙のうちに運ぶと,衆人は何人の功績であるかを知らず,功を人々の目の前で争うと,衆人はその何人なるかを知る」のである<ref>『岩波 世界人名大辞典 第1分冊(ア~テ)』p947</ref>。</blockquote>
この話は[[魯迅]]の『非攻』のモデルである他、[[酒見賢一]]の[[小説]]、『[[墨攻]]』の冒頭でも登場する。なお『墨子』では、『魯問篇』でも一貫して「公輸盤」「公輸子」と書かれる。この話は魯迅の『非攻』のモデルである他、酒見賢一の小説、『墨攻』の冒頭でも登場する。なお『墨子』では、『魯問篇』でも一貫して「公輸盤」「公輸子」と書かれる。
== 参考文献 ==

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