女神の持つ「再生の力」を当てにしながら、女神の地位を意図的に低いものに貶めること、殺された小栗判官(言い換えれば炎帝)を意図的に再生したことにすること、等、女性蔑視の普及と「再生の力が熊野の神にある」とすり替える意図に溢れた物語といえようか。このような意図に満ちた中世を経て、やがて須佐之男は「熊野の神」として君臨していくことになる。熊野信仰の「'''乗っ取り思想'''」が溢れた物語といえる。
また、照手姫が'''遊女'''とされている点、小栗判官と照手姫が夫婦のようであって必ずしも夫婦ではない点など、いわゆる「原始キリスト教」の影響を受けたと思われるキリスト教譚、すなわち小栗判官をイエスになぞらえて、その死と再生のために若い女性を生贄にする、として生贄を正当化するような思想が内包されているのではないか、と疑われる。
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