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216 バイト追加 、 2022年9月5日 (月) 20:20
東アジアにおける「植物神」は単なる植物の擬人化にとどまらず、「王権」と「栽培技術」とに大きく結びついたものとなっているように思う。中国の[[炎帝神農]]は植物神そのものというよりも「栽培技術の神」といえ、かつ王権者でもある。その代わり、植物そのものの神としての性質は弱い。中国神話では、植物神そのものとしての性質は[[后稷]]の方が強いと考える。死後、その姿が植物に化生したと暗示されているからである。[[后稷]]は天の神の子供であることが暗示されており、天の神と地上の女性との間に生まれた子供である点は檀君と共通している。ただし、檀君が王権者である点は[[炎帝神農]]と共通している。そして、檀君は王権者であることが強調されているためと思われるが、「農業や植物栽培の神」としての性質はほとんど示されていない。古代中国神話との関係でいえば、おそらく、[[炎帝神農]]と[[后稷]]は元は「同じ神」であって、それが特に「王権者」であることが強調される[[炎帝神農]]と、栽培者である[[后稷]]に分けられたのではないか、と思う。とすれば、[[炎帝神農]]の原型(これを「'''原神農'''」と呼ぶことにする。)には、本来穀物神や樹木神といった植物神としての性質も備わっていたと推察される。おそらく、中国東北部で発生した「原神農」が中国、朝鮮、日本へと枝分かれしながら分布し、各地でそれぞれに分化したものが、中国では[[炎帝神農]]と[[后稷]]になり、朝鮮では檀君となったのだと考える。そのため、檀君には[[炎帝神農]]と[[后稷]]の両方と共通した要素が含まれている。檀君に「栽培技術の神」としての性質が乏しいのは文章化された時代が13世紀と比較的遅く、為政者が農業技術の開発に直接関わるような時代ではもはやなくなっていたことも大きく影響しているのではないか、と思う。
日本神話との比較について。日本神話は、稲作に関連するニニギ、植樹と林業に関する須佐之男と[[五十猛神]]、物部氏の祖神であるニギハヤヒが主に「天から降臨した神」として挙げられると思うが、その他にも中津国平定に関わった、とされる天穂日命、天稚彦、建御雷神と、主たる「天から降臨した神」だけでも複数の神が存在する。管理人の考えでは、これらは元は一柱か二柱の神であったものが、それぞれの役割に応じて細分化されたものである。中でも植物に関するのはニニギと須佐之男・[[五十猛神]]である。ニニギは穀物神そのものである。須佐之男の子孫とされる神々には稲作の技術に関する複数の神々がいる。[[五十猛神]]は樹木の神であるのみならず林業や木地師の神でもある。そのため、どの樹木の神なのかというと日本では建築に良く用いられる「杉の木の神」とするのが妥当と思われる。杉の木は古語で「進木(すすき=まっすぐに伸びる木)」と言われており、須佐之男の名前の由来ともなっているのではないか、と管理人は思う。要は須佐之男には、栽培技術の神として[[炎帝神農]]としての性質と、樹木神としての性質の両方が含まれている。ニニギは[[后稷]]的な性質も有しているが、「王権の神」であるところは[[炎帝神農]]的でもあり、檀君とも共通した性質である。[[五十猛神]]は樹木神であるところが檀君と共通している。とすれば、ニニギ、須佐之男、[[五十猛神]]は日本に伝播した'''原神農'''が、それぞれの役割に応じて細分化したもので、それは中国に伝播したものが[[炎帝神農]]と[[后稷]]に分かれたのと似ているように思う。すなわち、日本神話と比すれば、檀君はニニギ、須佐之男、[[五十猛神]]と共通した神といえよう。「天から降臨した神」という点は、檀君の父とされる桓雄にもその性質の一部が分けられているといえる。を併せた神といえよう。檀君が日本の神々を模倣しているのではない。日本神話が、檀君の元となったと思われる'''原神農'''を3つ、あるいはそれ以上に分割して作られているのである。「天から降臨した神」という点は、檀君の父とされる桓雄にもその性質の一部が分けられているといえる。
== 参考文献 ==

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