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1,515 バイト追加 、 2022年9月5日 (月) 13:19
== 私的考察 ==
ともかく、Wikipediaの記載は、神話の内容そのものよりも、現代的イデオロギーに関することが多くて「神話の内容はどこ?」と感じる。管理人は現代的イデオロギーについての知識を得ることは教養の一環という以上の興味はなく、あくまでも「比較神話」が興味の対象である。神話というものが一般的に「いつ成立したのか」という点は、歴史的事実にかかわらず「'''文字にして表されたとき'''」と考えている。口承文学は社会状況の変化に合わせて内容が変わり得るが、文字にして保存されてしまうと、どんな時代でも「どういう話だったっけ?」と読んで確認できるようになるので、変化のしようがなくなるからである。神話というものが「100%歴史的事実であるか否か」という点は、檀君神話が事実であれば、日本の天孫降臨も、中国の[[后稷]]も、ヴェマーレ族の[[ハイヌウェレ型神話|ハイヌウェレ]]も全て歴史的事実なので、その全てを客観的に証明して下さい、となる。そう、檀君神話は、拡く「植物化生神話」の一部なのである、というのが管理人の考えである。特に「植物の子孫」が王権を有した、というニニギの神話と関連が深く、日本の神話の模倣ではなく、日本の神話との類似姓が高いからこそ、文化的に朝鮮と日本が近い時代、すなわち朝鮮人と日本が地理的、文化的に近くに在り、枝分かれする前から原型が存在していた神話、といえると考える。も全て歴史的事実なので、その全てを客観的に証明して下さい、となる。そう、檀君神話は、拡く「植物化生神話」の一部である、というのが管理人の考えである。特に「植物の子孫」が王権を有した、というニニギの神話と関連が深く、日本の神話の模倣ではなく、日本の神話との類似姓が高いからこそ、文化的に朝鮮と日本が近い時代、すなわち朝鮮人と日本が地理的、文化的に近くに在り、枝分かれする前から原型が存在していた神話、といえると考える。
=== 植物神と檀君 ===
一方、「白檀」というとサンダルウッドのことで、インド原産で<ref>伊藤・野口監修 誠文堂新光社編, 2013, p70</ref>、インドでは古くはサンスクリットでチャンダナ(चन्दनम्, candana})とよばれ仏典『観仏三昧海経』では牛頭山(西ガーツ山脈のマラヤ山(摩羅耶山 秣刺耶山)とされる)に生える牛頭栴檀(ゴーシールシャ・チャンダナ , gośīrṣa-candana)として有名であった<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%83%80%E3%83%B3 ビャクダン](最終閲覧日:22-09-05)</ref>。おそらく、檀君神話の「檀」はビャクダンのことを指すのであり、その点が「仏教の影響」と言われるのであろう。
 
 
東アジアにおける「植物神」は単なる植物の擬人化にとどまらず、「王権」と「栽培技術」とに大きく結びついたものとなっているように思う。中国の[[炎帝神農]]は植物神そのものというよりも「栽培技術の神」といえ、かつ王権者でもある。その代わり、植物そのものの神としての性質は弱い。植物神そのものとしての性質は[[后稷]]の方が強いと考える。死後、その姿が植物に化生したと暗示されているからである。[[后稷]]は天の神の子供であることが暗示されており、天の神と地上の女性との間に生まれた子供である点は檀君と共通している。ただし、檀君が王権者である点は[[炎帝神農]]と共通している。そして、檀君は王権者であることが強調されているためと思われるが、「農業や植物栽培の神」としての性質はほとんど示されていない。古代中国神話との関係でいえば、おそらく、[[炎帝神農]]と[[后稷]]は元は「同じ神」であって、それが特に「王権者」であることが強調される[[炎帝神農]]と、栽培者である[[后稷]]に分けられたのではないか、と思う。とすれば、[[炎帝神農]]の原型(これを「原神農」と呼ぶことにする。)には、本来穀物神や樹木神といった植物神としての性質も備わっていたと推察される。
== 参考文献 ==

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