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高麗時代の一然著『三国遺事』(1280年代成立)に『魏書』からの引用と見られるのが、檀君の文献上の初出である。『東国通鑑』(1485年)にも類似の説話が載っている。しかし引用元とされる『魏書』(陳寿の『三国志』や魏収の『北魏書』)などの中国の史書には檀君に該当する記述がまったくない。
 
なお、偽書とされる『桓檀古記』、『揆園史話』には『三国遺事』とは異なる記述がなされている。
 
=== 檀君の名の由来 ===
檀君王倹という言葉は、もともとは由来の異なる二人の神、檀君と王倹を結び付けたものである。<sup>''(要出典範囲、檀君という名については、「〜君」というのは道教の比較的階級の低い神の称であり「檀の神」であることを表す。(2022年5月))''</sup>12世紀に成立した高麗の正史『三国史記』や『三国遺事』が書かれた<sup>''要出典範囲、高麗時代に熱冷ましの薬として檀が大いに持て囃され流行した(2022年5月))''</sup>が、この檀は仏教説話に結び付いており、当時仏教の盛んだった妙香山がその信仰の中心地だった。檀は本来インドや東南アジアなど熱帯系の植物で朝鮮には自生しないが、妙香山は今でも香木で覆われた山として有名であり、<sup>''要出典範囲、高麗時代に檀と称して解熱薬とされた(2022年5月))''</sup>のはこちらであった。<sup>''(要出典範囲、王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことが分かる。(2022年5月))''</sup>『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた仙人の名前として王倹という人名が出てくる。ただし『三国史記』『三国遺事』が書かれた高麗時代にいわれていた仙人とは、日本でいうようないわゆる山に篭って修行し神通力や長寿を得た人間のことではなく、妖精や妖怪に近いもので<sup>''(要出典範囲、「王倹仙人」とは平壌の地霊をいった(2022年5月))''</sup>。『三国史記』には檀君という王がいたことは全く書かれていない。
 
檀君神話には並行する伝承が存在し、[[夫余]]の[[建国神話]]{{efn2|夫余の建国神話に登場する[[天神]]「解慕漱(ヘモス)」と檀君神話の「桓雄(ハムス)」は漢字の[[当て字]]の違いで元々は同じ音を表しており、同名同一の神であった。雄の字を「ス」と読むのは[[韓訓]]。}}、及び[[ツングース]]系の諸民族に伝わる[[獣祖神話]]{{efn2|ツングース系の獣祖神話においては人間の[[性別|男女]]、熊の牡牝、虎の牡牝の組み合わせがすべて存在するが、民族の祖先となるのは人間の[[女性]]から生まれた場合だけで、父系の祖先が獣(虎か熊かはその民族または部族によって異なる)である。人間の男と牝虎の間には子供はできず、牝熊との間に生まれた子供は男が逃亡しようとしたため怒った母熊によって殺されてしまう。つまり本来の獣祖神話においては母系が獣の民族は存在できないことになっている。}}などがある。檀君神話は朝鮮の古来からの独立を示すための創作説話だろうと推測されている{{誰によって|date=2022年4月}}。
== 他の書の檀君 ==

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