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サイズ変更なし 、 2022年9月2日 (金) 21:32
落合直澄は、「五十猛神ト檀君トハ同神ニシテ素盞鳴神ノ御子ナル」と述べており、檀君を素盞嗚神の息子である五十猛神と主張している。1667年に刊行された和刻版『東国通鑑』に、林鵞峰が書いた序文「鴻荒の世に在りて、檀君、其の国を開く…我が国史を言えば、これ則ち韓郷の島新羅の国また是れ素戔烏尊の経歴する所なり。尊の雄偉、朴赫・朱蒙・温祚が企て及ぶ可きに非るときは、則ち推め三韓のこれ一祖と為せんもまた、誣しいたりとか為せざらんか」とあることから、落合直澄の「檀君=素盞鳴神の息子五十猛神」という主張は、林鵞峰の「素盞鳴神=三韓の一祖」から導き出したとみられる<ref name="北山祥子77-78"/>。落合直澄は、江戸時代の史書『日本春秋』において、朝鮮では「伊檀君曽(いたきそ)」が檀君を指し、檀君の別称が「新羅明神」「日韓神」としていることを根拠に、檀君を「太祈(たき)」と称し、五十猛神の別称が「伊太祈曽」「韓神曽保利」であることから、檀君と五十猛神は同一神であると主張した<ref name="北山祥子77-78">北山祥子, 2021, p77-78</ref><ref group="私注">興味深い説ではある。ただし、五十猛神は木地師といった職能の神といえ、王権の神、とは性質が異なると考える。また、檀君神話では檀君の母親が熊女である点が明確だが、五十猛神は母方の系譜が明確でない。須佐之男を中心とした神話に類話を求めるのであれば、母方の系譜が明確で、かつ王権とも結びついている'''ニニギ'''が朝鮮における檀君と同じ性質なものといえると思う。ただ、名前の類似姓があるのであれば、起源的に檀君と五十猛神は同じ神である可能性はあると思う。須佐之男の子神のうち、「天から地上に降りた神」が存在し、それがニニギ、ニギハヤヒ、五十猛神等に日本の国で細かく分けられたのであれば、いずれも元は檀君と同じ神である、といえるのではないだろうか。</ref>。
今西龍は、韓民族に祖神あることは事実なり。…漢民族の祖神は、韓民族の遠き祖先が祖神となしたるものにあり。而して其名其徳の彷彿として窺ひ知るべきものに新羅の弗矩内あり、任那即ち加羅の夷毗訶あり。弗矩内は漢字訳して赫居世といふ『光を知らす』の義にして、新羅古代の王が奉祀せしものなり」と述べており、檀君神話の起源について歴史的観点から民族および地域の分析をおこない、「檀君は本来、扶余・高句麗・満洲・蒙古等を包括する通古斯族中の扶余の神人にして、今日の朝鮮民族の本体をなす韓種族の神に非ず」と結論づけた<ref>北山祥子, 2021, p112-114</ref><ref group="私考私注">扶余・高句麗・満洲・蒙古・日本そして中国の一部の「共祖」は必ずしもツングース系とはいえないのではないか? と思うが、これらの民族に共通した先祖と祖神神話があるという考えは管理人もほぼ同一といえる。</ref>。
[[末松保和]]は、「普通に箕子、衛満の二朝鮮を合して[[古朝鮮]]といふ。ところが、古朝鮮の中には、今一つ数へあげねばならぬものがある。王倹朝鮮これである。王倹は詳しくは壇君王倹といふから、壇君朝鮮とも呼ばれてゐる。箕子・衛満の朝鮮が[[支那]][[古典|古典籍]]にあらはれるものであるに対して、この王倹朝鮮は[[高麗|王氏高麗時代後期]]の文献に始めて見えるものであつて、前二者とは成立の過程を異にし、同日に談ずべきではなく、高麗人自身によつて構成されたものといふ点に意義がある。この古朝鮮=王倹朝鮮は、年代上では、支那の[[堯|堯帝]]と時を同じくする王倹が開国したものであり王倹は御国一千五百年周の武王が箕子を朝鮮に封ずるに及んで退き隠れたとするから、箕子以前即ち最古の古朝鮮となるわけである」「古朝鮮の第一は檀君王倹朝鮮であり、第二は[[箕子朝鮮]]であり、第三は[[衛氏朝鮮|衛満朝鮮]]…その第一の檀君王倹朝鮮は、王氏高麗時代後期の文献に始めて見えるものであつて、文献上の古さは、到底箕子・衛満の両朝鮮と比較すべくもない…檀君朝鮮が、文献上かくも新しきものでありながら、なほかつ私が、古朝鮮の第一に掲げねばならなかつたのは何故であるかといふに、一には、それについて文献の語る年代そのものが、箕・衛二朝鮮の前に置かれてゐるからであり、二には、その伝へ(檀君朝鮮)の思想的規模が、[[朝鮮半島|半島]]開闢の伝説としては、最も広大だからである。かくの如き古さと規模とを有する開闢伝説は、いふまでもなく[[高麗|王氏高麗]]の『時代の所産』であつて、その後それに加ふるもの出来なかつたのは、かくの如き開闢伝説を不充分とするやうな大きな時代が来なかつたからに外ならぬ。またその前に、かくの如き伝説が生まれなかつたのは、かかる伝説を必要とする時代がなかつたからである。即ち王氏高麗時代に先行した新羅の一統時代には、三国の一たる古新羅の、開闢開国の伝説を奉じて満足し、また[[三国時代 (朝鮮半島)|三国時代]]には、新羅をはじめ、高句麗・百済、それぞれに開闢伝説を持つて居たが、何れもかの箕・衛両朝鮮より古く時代を指示するものがなかつた。このことは重要な意義を持つてゐる」と指摘している<ref>{{Harvnb|北山祥子|2021|p=128-129}}</ref>。

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