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2,950 バイト追加 、 2022年8月26日 (金) 09:05
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また、日本で神農は「神農皇帝」の名称で、香具師・てき屋業界では守護神・まもり本尊として崇敬されている。これは神農の時代に物々交換などの交易をする市場がはじめられたこと、また神農の子孫であるとされる融通王が日本ではじめての露天商であるという伝説などが理由であるとされてきた<ref>佐藤一羊 『神農の由来 附・香具師虎之巻』 1930年 神農社 - [NDLDC:1461093 国立国会図書館デジタルコレクション]</ref>。儀式では祭壇中央に掛け軸が祀られるほか、博徒の「任侠道」に相当するモラルを「神農道」と称している。
 
== 私的解説・炎帝と神農の関係 ==
管理人の理解が、そもそもここからあやふやであったので、覚書として書く。どうやら中国の伝承では
 
伏羲とその一族(風姓) → 神農とその一族(姜姓) → 黄帝とその一族
 
と古代の王権(皇帝)が入れ替わりながら続いた、という大筋になっているのではないかと思う。神農とその一族が皇帝であったとき、その皇帝の称号のようなものとして「'''炎帝'''」と呼んでいたと思われる。初代の炎帝が神農とされ、さまざま業績があった、とされているので、「'''炎帝神農'''」として、彼のみが強調されて炎帝であるかのように語られることとなった面があるようである。ただし、歴史的伝承の上では、「炎帝」の世は10代ほど続き、10人の炎帝が存在した、とされている、という印象を受ける。
 
 
「皇帝」といえるような支配者が、'''「農耕を司る」とされて、太陽神と同一視され、皇帝そのものが炎帝(太陽神)と呼ばれるような思想が古代中国にあったのではないか'''、と推察される。'''皇帝が太陽神そのものであって、農作物をもたらしてくれるからこそ、その見返りとして人々は税を納めたり、労働力を提供しなければならないのではないだろうか'''。「皇帝さん、作物を教えてくれて、実らせてくれてありがとう。」という具合にである。そもそも作物そのものも皇帝が人々に与えてくれたものなのである。似たような概念に日本の「天皇」というものがあるように思う。天皇は'''農耕に関する祭祀の頂点を司る存在'''であるし、天皇の先祖で太陽神・天照大神の孫であるニニギが人々に稲をもたらした、とされる。そして、古代においては「出挙(すいこ)」といって、種籾を人々に貸し与える代わりに、収穫の一部を税として徴収する制度があった。これは、現代でいえば「税」でもあり、「特許料」のようなものでもあった、といえるのではないか、と思う。そして、古代中国で各王朝の皇帝たちは、決して自ら農民以上に農業に励むような存在ではなかったのだから、むしろ「'''農耕祭祀を司り、作物の特許的所有権を予め主張して、それらを根拠として人々から見返りを求め、人々を支配した'''」というのが「皇帝」というものの始めであり、そのような古い形態が日本のような中国の周辺の僻地に残っているのではないか、と考える。これが、管理人が炎帝神農のことを「'''特許神'''」と呼ぶ所以となっている。
== 参考文献 ==

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