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殷代から周代にかけて'''饕餮文'''(とうてつもん)と呼ばれる模様が青銅器や玉器の修飾に部分的に用いられる。この頃の王は神の意思を人間に伝える者として君臨していた。その地位を広く知らしめ、神を畏敬させることで民を従わせる為に、祭事の道具であるこのような器具に饕餮文を入れたものとされる。良渚文化の玉琮には、饕餮文のすぐ下に王の顔が彫られたものも出土している。ただし、これらの装飾が当初から饕餮と呼ばれる存在の描写であったという証拠は何もなく、後世に饕餮文と呼ばれているだけである。そのため、中国考古学の専門家である林巳奈夫はこれを「獣面紋」と呼んでいる<ref>林巳奈夫, 神と獣の紋様学 ― 中国古代の神がみ, 2004, 2004年7月1日, 吉川弘文館, page5, isbn:4-642-07930-0</ref>。
饕餮文を[[蚩尤]]を表しているとする文献があることや、同じ[[神農|炎帝]]の子孫とされていることから本来饕餮は蚩尤と同一の存在だったのではないかと考えられている饕餮文を蚩尤を表しているとする文献があることや、同じ炎帝の子孫とされていることから本来饕餮は蚩尤と同一の存在だったのではないかと考えられている<ref>[[袁珂]]『中国神話・伝説大事典』[[大修館書店]]1999年、515袁珂『中国神話・伝説大事典』大修館書店1999年、515,516頁。</ref>。また、『[[山海経]]』に登場する。また、『山海経』に登場する'''狍鴞'''(ほうきょう)という獣も饕餮と同一とされる<ref>『中国神話・伝説大事典』617頁。</ref>。
{{読み仮名|[[渾沌|渾敦]]|こんとん}}、{{読み仮名|[[窮奇]]|きゅうき}}、{{読み仮名|[[檮杌]]|とうごつ}}とともに「[[四凶]]」の一つとされる。[[東方朔]]の『神異経』には「西南方有人焉、身多毛、頭上戴豕。貪如狼惡、好自積財、而不食人穀。強者奪老弱者、畏群而擊單。名曰饕餮。《春秋》言饕餮者、縉雲氏之不才子也。一名貪惏、一名強奪、一名凌弱。此國之人皆如此也」という記述がある。渾敦(こんとん)、窮奇(きゅうき)、檮杌(とうごつ)とともに「四凶」の一つとされる。東方朔の『神異経』には「西南方有人焉、身多毛、頭上戴豕。貪如狼惡、好自積財、而不食人穀。強者奪老弱者、畏群而擊單。名曰饕餮。《春秋》言饕餮者、縉雲氏之不才子也。一名貪惏、一名強奪、一名凌弱。此國之人皆如此也」という記述がある。
[[明]]代には、[[竜]]の子である「[[竜生九子]]」の一つで、その五番目に当たるとされた。飲食を好むという。明代には、竜の子である「竜生九子」の一つで、その五番目に当たるとされた。飲食を好むという。
== 関連項目 ==

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