3項のムルア・サテネは、物語の中では自発的に姿を消すことにはなっていて、他者から「罰を受けている」という要素は乏しくなっている。しかし、彼女が「身を隠す」ことが一種の「引責辞任」のような性質を帯びていたとすれば、彼女は人々のリーダーとしての役割を果たせなかった点について、自ら責任を取る、という形で罰を受けて姿を消したのかもしれない。
そして、本項の最大の問題は、「'''ハイヌウェレの死が予定されていた意図的なもの'''」であるなら、なぜ人々はその死の責任を取り、サテネもこの世を去らねばならなかったのだろうか、ということに尽きる。現代的に考えれば、子供の身の安全を守るのは、まず第一に親でなければならない。とすればアメタにはハイヌウェレの身の安全に気を配り、危険な祭りに行かせなかったり、危険が及ばないように護衛をつけたりする義務があった、と言えないだろうか。現代的に考えればアメタには「親としての監督義務」があった、と思われるが、それは果たされていない。その代わりにサテネや人々が責任を負って罰を受ける、というのであれば、彼らは'''アメタの身代わりとなって罰を受けた'''ともいえる。物語の中で、人の生死に関わる問題を起こしても罰されない者が二人居る。それは、'''アメタ'''と'''トゥワレ'''である。よって、彼らは'''社会的地位が高く、何をやっても罰されることがない'''存在だ、ということが分かる。彼らの行動に落ち度がある場合、より地位の低いサテネや人々が罰を受けなければならない。例えば、天災などが起きた場合に、人々は神に祈っても祈りが届かなかった、と感じる。神が絶対的な存在であって、罰を与えることができなければ、神と人との間に入ったシャーマンや神官の働きが悪い、とされる文化はままある。また、すぐに思い当たる節がなくても、漠然と人々の行いが悪いから天罰が下った、などと考えるかもしれない。とすると、本来シャーマン的であり、媒介としての地位にあったアメタの地位はトゥワレに近いもの、あるいは'''トゥワレと同じくらい高いもの'''とより高くなっており、逆にサテネの方が本来の絶対的女神の地位から'''責任を負わなければならない下位の者'''へとより低くなっていることが分かる。でも、サテネの地位はシャーマンや媒介のようには変化していないので、そのようなことが本来の彼女の役目ではないことが分かる。そして、'''シャーマンが支配者である神と同格の地位に立つこと'''は、現実の人間の世界では'''専制君主の誕生'''ということになるのではないだろうか。専制君主とか彼らこそが王でもあり、神でもある絶対的な存在である。ということになるのではないだろうか。専制君主とか彼らこそが王でもあり、神でもある絶対的な存在である。アメタはヴェマーレ族の中で、そのような地位にいる。
==== まとめ ====