といえる。そして雄の動物がアメタの代理動物として生殖や繁殖の豊穣をもたらすのだから、動物は「'''人間の食料の父'''」であるし、アメタそのものが「'''人間の食料の父'''」だ、といえる。生産された食料をアメタ自身も食べるだろうから、アメタは「'''我が子を食らう父親'''」でもある。ハイヌウェレ神話ではアメタはハイヌウェレの殺戮に反対しているように見えるが、ハイヌウェレの死体をイモに化生させているし、おそらく食料としてのイモは食べただろうから、アメタもまた「'''我が子を食らう父親'''」である。神話の中では、ハイヌウェレ自身もアメタの娘であるかのように表現される。
そして、このように動物や植物、時には代理の人間を「父なる神の代理」として扱って、一時的には神のように大切にする、となると、その期間にもよるだろうが、動植物そのものが神なのか、人が神なのか、動植物と人は一体のものなのか、それとも別のものなのか、'''宗教的'''あるいは'''神話的'''に混乱を生じるように思う。現実の世界では、人と動物と植物が一体なって、それぞれの姿を行ったり来たりすることはないが、神話や伝承の世界では人型の神々が動物や植物に生きたまま姿を変えたり、死んで姿を変えたり、また元に戻ったり、自然に変化したり、殺されることで変化したり、魔法の力で変身したり、様々なバリエーションが存在する。に混乱を生じるように思う。現実の世界では、人と動物と植物が一体なって、それぞれの姿を行ったり来たりすることはないが、神話や伝承の世界では人型の神々が動物や植物に生きたまま姿を変えたり、死んで姿を変えたり、また元に戻ったり、自然に変化したり、殺されることで変化したり、魔法の力で変身したり、変身する能力を上位の神から授かったり、様々なバリエーションが存在する。